信虎は黙って金箔を散らした朱塗りの大盃を持ち上げ、そこに荻原虎重が瓶子(へいじ)から酒を注ぐ。今朝、御旗楯無にお供えされていた御神酒だった。 それを一気に呑み干し、信虎が言い渡す。 「皆も遠慮のう、やってくれ」 差し出した大盃に、荻原虎重がなみなみと二杯目を注ぐ。 「さて、常陸。何か景気のよい話でもせよ。余がまだ知らぬ話をな」 信虎は注がれた酒をあっという間に吞み干していく。家臣が蟒蛇(うわばみ)と恐れるほど酒が強かった。しかも、酔えば酔うほど餒虎の眼が鋭くなり、犀利な光を放ち始める。 家臣としては勘気に触れないよう、抑えながら酒を吞むしかなかった。酔って気が大きくなり、主君に諫言して消えていった者たちを山ほど見ていたからだ。 無礼講というのは、あくまで建前だった。 家臣たちは上席から順に身辺のめでたい話や笑い話などを披露していく。正月の祝いなので戦の話はしないという暗黙の了解があるのだが、ひとしきり話が廻った後は、やはり領国を取り巻く状況に話が移っていく。 戦の話はしないというのも、あくまで建前に過ぎない。 時には酔った信虎が敵対する勢力を痛罵し始めることもあった。そんな時は、家臣たちも己の意気込みを述べなければならない。黙っていれば、尻込みしていると思われるからだ。 自然に話は熱を帯びてくる。 「忌々しきは、相模の北条よ。京を追われ、今川に拾われた犬のくせに、今では坂東の執権気取りで余に楯を突く」 信虎は酔眼をぎらつかせて吐き捨てる。 「関東管領の山内上杉も情けない。早く北条を武蔵から駆逐せねば、逆に喰われるぞ。まあ、そうなれば余が武蔵と相模へ出張り、北条を駆逐してやる。その暁には関東管領の職を務めてやらぬでもない。かっはっは」 主君の高笑いに合わせ、重臣たちも喝采した。 今川家と和睦してから、当面の敵は南と東を封じてくる北条家だった。 宿敵だった今川氏親と一緒に、富士の西麓へ何度も出張ってきた伊勢宗瑞(北条早雲)はすでに逝去し、嫡男の北条氏綱が跡を嗣いでいた。 この若い惣領と伊勢宗瑞が育てた家臣と兵がなかなかに手強く、新府の東十里(四十キロ)ほどに位置する梨の木平(大月)で一度は北条勢を撃退したが、それからは一進一退を繰り返している。武蔵では北条と対する山内上杉家と扇谷上杉家が苦戦しており、度々、信虎に援軍の要請が届いていた。 「そもそも北条氏綱とは、いかほどの者か。なにゆえ、ぬけぬけと改姓などし、執権を気取っていられる。誰か、そのまやかしの種明かしができる者はおらぬか?」 信虎の問いに、一人の家臣が手を挙げる。 「懼れながら、それがしにお話しさせていただけませぬか」 飯田虎春だった。