連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   一 
  
 武田家の元旦は、御旗(みはた)と楯無(たてなし)への拝礼(はいらい)から始まる。
 衣冠束帯で正装した武田信虎が重々しく声を発した。
「御旗楯無も御照覧あれ」 
 天津神と国津神に見立てた宝物に八度拝(はちどはい)八開手(やひらて)を捧げる。
 その後ろには齢十三になった太郎勝千代(かつちよ)(晴信)と四つ下の弟である次郎(信繁)が控え、懸命に父の動作をなぞり、粛然と並んだ一門家臣の者たちも主君の信虎に倣(なら)った。
 御旗とは、平安朝の治世に源頼義(よりよし)が後冷泉(ごれいぜい)天皇より源氏の棟梁である証として下賜された日の丸の旗だった。これは後世において、日本最古の日章旗ではないかと称えられる遺物である。
 一方、楯無とはその名の通り、楯も必要としないほどの頑丈さを誇る古式大鎧の称号であり、源義光(よしみつ)の伝来とされる源氏八領のうちのひとつである。新羅三郎(しんらさぶろう)と呼ばれた義光は甲斐源氏の始祖であり、楯無はその惣領にだけに相伝された。
 河内源氏の二代目惣領、源頼義から三男の義光に御旗が託され、それが甲斐で楯無と一対となり、甲斐源氏の正統を証明する誉れとして武田家の惣領に受け継がれることになったのである。代々の惣領は戦となれば、必ず「御旗楯無も御照覧あれ」と誓約を立ててから出陣した。
 この言葉には「二つの誉れに恥じぬ行いを誓いますゆえ、源氏の守神となった祖先の方々も、天から一門の戦いをご覧くだされ」という意味が込められている。
 同様に、武田家では惣領が年末の晦日(みそか)から精進潔斎を行い、新年の始まりとなる元旦に一門の者が勢揃いし、神聖なる誓約の儀式を行ってから節饗(せちあえ)の椀飯振舞(おうばんぶるまい)が行われた。
 この年、天文(てんぶん)三年(一五三四)一月一日も、冷厳な空気に包まれた躑躅ヶ崎館で拝礼の儀が滞りなく終わった。
 武田太郎勝千代は浄衣(じょうえ)から大紋直垂に着替えるため室へ戻る。そこには傅役の板垣信方が待っていた。
「板垣、余の所作は、どうであったか。倣い通りにできていたであろうか?」
「ご立派にござりました」
「そなたのひいき目ではなくか?」
「それがしはいつも掛け値なく、若を見ておりまするが」
「まことか」
 太郎の面に、やっと笑みの花が咲く。
「御先祖様だけではなく、亡くなった兄上や弟にも渾身の祈りを捧げたのだ」
 母親が違う兄の武田竹松は、十年前に亡くなっている。太郎がまだ三歳の時だった。
 その二年後に弟の次郎が大井の方から生まれる。さらに、次郎の下の実弟として生まれた武田犬千代が四年前に病死してしまった。太郎が九歳、次郎が五歳の時、兄と下の弟が共に享年七歳で夭折してしまうという不幸に見舞われていた。
 二人が亡くなった後、信虎の寵愛は幼かった次郎に向き、周囲が訝(いぶか)るほどの溺愛ぶりとなった。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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