「そ、その通りにござる」 「されど、晴信様には沈思黙考にて内省に向かわれる傾向がありますゆえ、これからはそれを少し外向きにしていかなければならぬのではありませぬか。さすれば、今はまだ静観している方々も、晴信様の真価に気づくはずにござりまする。ただし、問題は武田の御屋形様とのご関係、これについては親子のことでもあり、子を持ちませぬ拙僧が軽々(けいけい)に語ることはできませぬ」 「ここまで申されて、それは逃げ口上ではありませぬか」 「板垣殿だけではなく、晴信様も御不満の御様子。では、かようにいたしませぬか。これから拙僧が山門における師と弟子の関係についてお話しいたしまする。閉ざされた禅寺において長い時を共に過ごす師弟は、おのずと擬制父子の如き関係となってゆき、師が弟子を疎(うと)んで己の法嗣(ほっし)としない場合も出てまいりまする。それには大きく分けて二つの理由がありまする」 岐秀禅師は禅寺の師弟になぞらえて信虎(のぶとら)と晴信の関係を解き明かそうとしていた。 「ひとつは、明らかに弟子の出来が悪い場合。これは解悟に至りませぬので、当然のことながら法嗣とはできませぬ。されど、そこにも二つの選択が現れ、懐の深い師家であれば、ぎりぎりまで弟子の解悟を待ち、どうしても至らなければ山門を去るように引導を渡しまする。師家とて、人の子。出来の悪い弟子ほど愛おしくなるというのも、人の避けがたい性にござりまする。対して、すぐに弟子の出来を判断し、解悟の兆しが見えぬ者を放逐(ほうちく)なさる師家もおりまする。こうした師家は目利きのように見えて、拙僧の体験からすれば、官寺において常に保身を気になさる狭量な方が多かったようにござりまする。いずれにせよ、弟子が師に疎まれるのは、大方の場合、明らかに出来が悪いからにござりまする。出来の良くなかった拙僧は何度もさような経験をし、懐の深い師家に救われて今日に至りました」 自嘲の笑みを浮かべ、岐秀禅師は信方を見る。 「されど、稀(まれ)にまったく違う場合がござりまする。それは周囲の誰が見ても優秀な弟子をなにゆえか師だけが疎んじるという場合にござりまする。こうしたことは、たいていは師弟が人として正反対の性質を持ち、弟子が師とはまったく別の才と能の煌(きら)めきを有する時に起きまする。人は己が理解できぬ才能に恐れを抱きがちであり、それが高じて己を守るために相手を無視するという行動に出てしまうのでありましょう。つまり、師が己にはない才能を弟子に見てしまい、嫉妬のような感情から遠ざけてしまうということ。もちろん、狭量な師ほど、そうなりがちにござりますが、懐の深い師家でも己を凌駕(りょうが)する弟子を恐れることに変わりはありませぬ。潔く己が身を引いて跡を譲ればよいと思いまするが、なかなかそうはできぬのもまた、人の避けがたい性にござりまする」 「ならば、御老師は晴信様が後者の弟子の如くであると?」 「はい。拙僧から見た晴信様は、講師としての己を凌駕していくであろうと見ておりまする」 「御屋形様も似たような思いを抱かれているとするならば、どうすればよいのであろうか?」 「それは、実に難しい問いかけにござりまする」 岐秀禅師は少し表情を曇らせる。