第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)11
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
薬師と産婆たちが集まり、懸命の助産が行われた。
理法大師と岐秀元伯は護摩を延命招魂法と普賢(ふげん)延命法に切り替え、必死で加持祈禱を行う。信玄もこれに参加するしか術がなかった。
延命招魂法とは、病者の肉体から分離しかかっている魂魄(こんぱく)を呼び、結界内に招いて、そこから去らせないようにする呪法である。
――軍荼利明王様、どうか麻亜の命だけはお守りください。
信玄はそれだけを祈り続けていた。
静寂の中、真言呪が重々しく響き、息苦しい時が続く。
そして、朝方、難産の末に諏訪御寮人が男子を出産する。
そのことが薬師から信玄に伝えられた。
「……早産ではありましたが、元気な男(お)の子にござりまする。奥方様も、ご無事にござります。されど、難産の疲れのせいか、気を失われたように眠っておられまする」
「側に付き添えるか?」
「まだ、お話はできぬと存じまするが……」
「顔が見られるのならば、それだけでもよい」
「畏まりました。……和子(わこ)様とのご対面は、いかがなされまするか?」
薬師が恐る恐る訊ねる。
「後で、構わぬ。まずは麻亜の様子が見たい」
そう答え、信玄は足早に寝所へ向かった。
諏訪御寮人は純白の浄衣に身を包み、蒲団の中で細い寝息を立てていた。
その枕元に座り、信玄は蒼白(そうはく)になった頰に右手を添える。
「でかしたぞ、於麻亜。よく頑張ったな」
小さく囁(ささや)きかけた。
それから鬢(びん)のほつれを直してやり、己の両手で諏訪御寮人の左手を包む。
――ずいぶんと痩せてしまったな……。
そう思った刹那、胸中に築いていたはずの堰(せき)が壊れてしまう。
突然、胃の腑(ふ)から激情がこみ上げ、それが喉元をせり上り、鼻腔へと突き刺さった。
溢(あふ)れそうになる泪(なみだ)を抑え、信玄は眼を瞑(つむ)る。
しばし、歯を食いしばり、泪を堪(こら)えた。
それから、諏訪御寮人が眼を覚まさないよう、呟(つぶや)くように語りかけ始める。
「……そなたに初めて会うた時、余はまことに何が起こったか、わからなかった。一目見た刹那、脳天に雷が落ちたような衝撃を受け、やがて、その痺(しび)れが甘酸っぱい切なさとなって背骨を駆け下りたのだ。それが一目惚(ぼ)れであったと気づくまで、ずいぶんと時がかかった」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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