よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)11

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 翌朝、弟子たちを伴い、御師が高島城に到着した。
 事情を聞かされた岐秀禅師は、しばし瞑目(めいもく)して考え込む。
 それから、ゆっくりと眼を開け、信玄に説明する。
「お話を聞いた限りでは、ただの安産祈願では済まぬと存じまする。事態は、それほど只(ただ)ならぬと」
「……まことに、ござりまするか」
「おそらく、単なる祈願ではなく、治病法の加持祈禱を行わなければなりませぬ。されど、禅宗には、さような修法がありませぬ。ただし、拙僧が存じている真言密教の修法に軍荼利明王(ぐんだりみょうおう))様の除魔治病(じょまちびょう)法という護摩(ごま)法があり、それならば拙僧にも覚えが」
「御師様、お願いできまするか」
「やってみましょう。そなたにも細かく修法を授けまする。それと、もうひとつ。同じ軍荼利明王様の修法に『延命招魂法』という秘儀がありまする。これは醍醐寺(だいごじ)や仁和寺(にんなじ)だけに伝わる極秘法で、いざという時にはこれが役立ちまする。拙僧の知己に醍醐寺で修行した真言密教の行者がおりますので、その者を駿府(すんぷ)から呼びませぬか」
「重ねて、お願いいたしまする」
「では、すぐに祈禱の支度をさせましょう」
 岐秀禅師は弟子たちに命じ、加持祈禱の設(しつら)えを始める。
 同時に駿府の日羅山金剛院(にちらさんこんごういん)へ使者を出し、住持の理法(りほう)大師に高島城への来訪を願った。
 諏訪御寮人の寝所の隣に、加持祈禱を行うための護摩壇が設えられ、五大明王を示す梵字(ぼんじ)の護符が供えられる。
 護摩壇の火炉(かろ/護摩炉)を給仕するため、行者の前には鳥居が立てられた。
 壇上には炉の左側に嗽口(そこう)器と洒浄(しゃじょう)器を並べ、上にそれぞれ散杖(さんじょう)二本が置かれる。右側には五穀器と飲食(おんじき)器を並べ、その手前の杓休(しゃくやすめ)に大小の杓を置く。
 左脇机には散香、丸香、薬種などの器を置き、右脇机には盛花、打鳴らし、檀木(だんもく)、乳木(にゅうもく)、箸、扇などが並べられた。
 護摩法においては、病を患った施主が身に付ける衣に始まり、食器や薬椀など身辺の物すべてに祓(はら)いと浄(きよ)めが施される。 
 岐秀元伯は自らを潔斎(けっさい)した後、諏訪御寮人が身に付ける浄衣(じょうえ)に祓い浄めの酒水(しゃすい)をした後、印契(いんげい)を結んで「オン、アミリテイ、ウン、ハッタ。帰命したてまつる、甘露尊よ、祓いたまえ、浄めたまえ」という甘露軍荼利真言を唱えた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number