第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)11
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「半日も待たずに、甲府(甲斐府中)まで善光寺平の詳細が伝わるということか。まさしく飛燕烽燧(ひえんほうすい)の計であるな」
信玄が言った飛燕とはまさしく飛翔する燕(つばめ)、そして、烽火のことを昔は烽燧と呼んでいたのである。
飛ぶ燕の如く危機を伝える烽火連繋網。それが飛燕烽燧の計だった。
信玄がこれを考えたのは、度重なる善光寺平での戦(いくさ)で武田勢の不利が判明したからである。
越後(えちご)の春日山(かすがやま)城から善光寺までは約十五里(六十`)の道程であり、雪がなければ半日もあれば踏破することができる。善光寺平を戦場(いくさば)と見立てた時、明らかに越後勢の進軍は早く、兵站(へいたん)も短く、増援も素早く行えた。
しかし、武田勢は広大な自領に散らばった軍勢をまとめ上げるのにかなりの時間を要してしまったという実状がある。
こうした不利を覆すためには、まず敵の動きを常に監視し、素早く伝達する方法を確立しなければならない。そのために三ッ者(みつもの)を動かして日頃から諜知を行い、そこで得た情報を烽火によって城伝いに連絡していくという仕組みを編み出した。
加えて、異変を知った城将が敵の動きに即応し、それを重ねて烽火によって伝える。
そうすれば、善光寺平に近い軍勢が相手を牽制(けんせい)している間に、要城へ軍勢を集約し、一気に戦場へ向かうことができた。
これまで三度の対戦を経て、信玄は自軍と敵軍の長所と弱点を見極め、長尾景虎の気性までを考慮に入れた上で対策を考え抜いた。
そして、英多(松代)での築城と飛燕烽燧の計に合わせて城郭配置の見直しという軍略に辿り着いたのである。もちろん、そこには武将たちの新たな配置も含まれていた。
「今後、烽火の符牒(ふちょう)を複雑にし、より多くの事柄を伝えられるようにしなければならぬな」
信玄の言葉に、跡部信秋が頷(うなず)く。
「はい。そのために烽火の色を変えられる方法を試しておりまする。山立(またぎ)の猟師たちに伝わる方法によりますれば、混ぜ物を変えるだけで烽火に色が付けられる、とのこと。たとえば、火急の連絡には赤い烽火を使うとか、黒煙が数本上がった場合は城が包囲の危機にあるとか、色と本数によって伝達の内容を細かくしていけると考えておりまする。それを符牒として整理し、各城に文書として配る予定にござりまする」
「城将たちには、すべてを覚えさせねばならぬ。誤報なきよう、上手く精査してくれ」
「承知いたしました。覚えやすい符牒を考えまする」
「何度か試してみる必要もあるな」
「はい。年末までには、何とか手配りできるかと」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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