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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)16 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 この日の午後、海野平(うんのだいら)合戦についての報告が行われることになっていた。
 土屋(つちや)昌遠(まさとお)が病に臥(ふ)せっている荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)の席に座り、家宰(かさい)然とした態度で評定を進める。
「……先の戦(いくさ)におきましては、総大将を務められた信繁(のぶしげ)様の采配の下、われら武川(むかわ)衆が信濃国分寺表(しなのこくぶんじおもて)で敵の先陣大将、海野幸義(ゆきよし)を討ち取って勝勢を築きました。何といっても、こたびの勝因はそこにあり、あとは一気呵成(いっきかせい)に滋野(しげの)一統を追い立てるだけにござりました。これらすべて、信繁様の機敏な采配によるものと存じまする。完璧なる御初陣の勝利、御目出度うござりまする」
 昌遠は上座で畏(かしこ)まっている信繁に世辞笑いを向ける。
 その様を、青木(あおき)信種(のぶたね)が仏頂面で見つめていた。
 ――いかにも己らだけで上げた武功のように語っているが、そもそも無理な渡河を命じられ、一番槍をつけたのは虎昌(とらまさ)ではないか。
 信種は末席で気配を殺している飯富(おぶ)虎昌に眼をやる。
 ――それにしても、すでに家宰の座についたが如き振舞が癇(しゃく)に障る。 
「では、信繁様に御言葉をいただきとうござりまする」
 土屋昌遠に促され、信繁が口を開く。
「……皆が支えてくれたおかげで、無事に初陣を務めることができた。……感謝いたす」
「身に余る仕合わせにござりまする。最後に、御屋形様より御言葉をお願いいたしまする」
「皆、ご苦労であった」
 信虎(のぶとら)はすでに酒を含んでいるらしく、上機嫌で脇息(きょうそく)に凭(もた)れかかっている。
「長らく小県(ちいさがた)に居座ってきた滋野一統を、たった一日で駆逐したのは上出来な戦であった。信繁、ようやった」
「……有り難き……仕合わせにござりまする」
 信繁はちらりと兄の方を見る。
 新府の留守居役を命じられ、何の武功もない晴信には、気の重い評定だった。ただ黙って話を聞いているしかなかった。
「滋野一統に義理を立てた関東管領職(かんれいしき)の上杉(うえすぎ)憲政(のりまさ)殿とも話がついており、信濃追分(おいわけ)辺りを境としたゆえ、これで佐久(さく)から小諸(こもろ)までが新たな領地となる。あとは村上(むらかみ)と小県の分配を決めるだけだ。もはや、南信濃は切り取り放題、次は小笠原(おがさわら)を松本(まつもと)から追い出す算段でもしようかの」
 不敵な笑みを浮かべ、信虎は一同を見廻す。
「まあ、今は勝利の美酒を愉(たの)しみ、次なる策でも考えるとしよう。ついては、駿府の婿殿がこたびの勝利を祝してくれるという。供については追って沙汰するゆえ、しばし待て。加えて、懸案であった家宰の任命と、新たな席次については、駿府より戻ってから発表いたす。本日は大儀であった」
 信虎はそれだけ言い渡すと、さっさと大上座を後にした。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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