この日の午後、海野平(うんのだいら)合戦についての報告が行われることになっていた。 土屋(つちや)昌遠(まさとお)が病に臥(ふ)せっている荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)の席に座り、家宰(かさい)然とした態度で評定を進める。 「……先の戦(いくさ)におきましては、総大将を務められた信繁(のぶしげ)様の采配の下、われら武川(むかわ)衆が信濃国分寺表(しなのこくぶんじおもて)で敵の先陣大将、海野幸義(ゆきよし)を討ち取って勝勢を築きました。何といっても、こたびの勝因はそこにあり、あとは一気呵成(いっきかせい)に滋野(しげの)一統を追い立てるだけにござりました。これらすべて、信繁様の機敏な采配によるものと存じまする。完璧なる御初陣の勝利、御目出度うござりまする」 昌遠は上座で畏(かしこ)まっている信繁に世辞笑いを向ける。 その様を、青木(あおき)信種(のぶたね)が仏頂面で見つめていた。 ――いかにも己らだけで上げた武功のように語っているが、そもそも無理な渡河を命じられ、一番槍をつけたのは虎昌(とらまさ)ではないか。 信種は末席で気配を殺している飯富(おぶ)虎昌に眼をやる。 ――それにしても、すでに家宰の座についたが如き振舞が癇(しゃく)に障る。 「では、信繁様に御言葉をいただきとうござりまする」 土屋昌遠に促され、信繁が口を開く。 「……皆が支えてくれたおかげで、無事に初陣を務めることができた。……感謝いたす」 「身に余る仕合わせにござりまする。最後に、御屋形様より御言葉をお願いいたしまする」 「皆、ご苦労であった」 信虎(のぶとら)はすでに酒を含んでいるらしく、上機嫌で脇息(きょうそく)に凭(もた)れかかっている。 「長らく小県(ちいさがた)に居座ってきた滋野一統を、たった一日で駆逐したのは上出来な戦であった。信繁、ようやった」 「……有り難き……仕合わせにござりまする」 信繁はちらりと兄の方を見る。 新府の留守居役を命じられ、何の武功もない晴信には、気の重い評定だった。ただ黙って話を聞いているしかなかった。 「滋野一統に義理を立てた関東管領職(かんれいしき)の上杉(うえすぎ)憲政(のりまさ)殿とも話がついており、信濃追分(おいわけ)辺りを境としたゆえ、これで佐久(さく)から小諸(こもろ)までが新たな領地となる。あとは村上(むらかみ)と小県の分配を決めるだけだ。もはや、南信濃は切り取り放題、次は小笠原(おがさわら)を松本(まつもと)から追い出す算段でもしようかの」 不敵な笑みを浮かべ、信虎は一同を見廻す。 「まあ、今は勝利の美酒を愉(たの)しみ、次なる策でも考えるとしよう。ついては、駿府の婿殿がこたびの勝利を祝してくれるという。供については追って沙汰するゆえ、しばし待て。加えて、懸案であった家宰の任命と、新たな席次については、駿府より戻ってから発表いたす。本日は大儀であった」 信虎はそれだけ言い渡すと、さっさと大上座を後にした。