信虎の軍勢を撃破した頼満と頼隆の親子は、逆に甲斐西部の国人衆を取り込み、勢力を拡大した。 しかし、八年前の享禄(きょうろく)三年(一五三〇)に諏訪頼隆が享年三十二歳の若さで急逝してしまう。あまりに突然の死であったため、「諏訪大社の神事をめぐる神職の対立を大祝として仲裁した際、先例を曲げたために神罰が下ったのではないか」というまことしやかな風聞が流れるほどだった。 その一年後の享禄四年(一五三一)に甲斐の国人衆を後援した河原辺(かわらべ)の合戦(韮崎〈にらさき〉)で痛恨の敗戦を喫し、武田の軍門に降(くだ)る形で和睦せざるを得なくなった。 頼満は頼重を嫡孫として家督を譲り、自らは出家して碧雲斎(へきうんさい)と名乗った。 「……それがしが非力な若輩者ゆえ、武田に後れをとってしまいました。申し訳ござりませぬ」 頼重は申し訳なさそうな顔で頭を下げる。 「いや、そなたのせいではない。これは諏訪家にとっての試煉(しれん)なのだ。今はじっと耐え、挽回の機を待つしかない。そのためにも村上義清と盟を結んでおく必要がある」 「わかりました」 「武田との縁組についても、それほど思い詰める必要はない。先方から質を取るぐらいの心持ちでいた方がよかろう。娘を嫁に出したとあらば、信虎もしばらくは当家に無体なことをすまい。それを利用して諏訪を固めるのだ」 「承知いたしました」 「甲斐一国を制したとて、信濃への進出はさほど甘くはない。とうてい一筋縄でいくはずもなく、信虎は必ずどこかでつまずく。その機を逃さぬことだ。まあ、つまずく前に信虎をけしかけ、宿敵の小笠原を攻めさせるのも一興やもしれぬ。小笠原長棟(ながむね)がいなくなれば、われらが松本平を制するのは造作もない。諏訪と松本を手に入れれば、当家も大きく飛躍することができるであろう。さすれば、そなたが信濃の守護になることさえ夢ではなくなる。それがこの大乱世の生き残り方というものだ……」 そこまで話し、頼満は大きく咳き込む。 「大丈夫にござりまするか」 頼重は祖父の肩をさする。 「……少し昂(たか)ぶりすぎたようだ。されど、頼重。この身はさほど長く保たぬであろう。これからはそなたが諏訪の一統を率い、自領を大きくしていかねばならぬ。そのために、今の話を忘れるでないぞ」 「お爺様、養生なされば、また元気に戻りまする」 「いや、この軆のことは、儂(わし)が一番よくわかっておる。このところ、背中の癰がだいぶひどくなり、痛みが止まらぬ。この命がある間に村上との盟約を含め、あらゆる下拵(したごしら)えをしておくゆえ、それを有効に使って諏訪の惣領として大きくなるのだ」