連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)9 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 信虎の軍勢を撃破した頼満と頼隆の親子は、逆に甲斐西部の国人衆を取り込み、勢力を拡大した。
 しかし、八年前の享禄(きょうろく)三年(一五三〇)に諏訪頼隆が享年三十二歳の若さで急逝してしまう。あまりに突然の死であったため、「諏訪大社の神事をめぐる神職の対立を大祝として仲裁した際、先例を曲げたために神罰が下ったのではないか」というまことしやかな風聞が流れるほどだった。
 その一年後の享禄四年(一五三一)に甲斐の国人衆を後援した河原辺(かわらべ)の合戦(韮崎〈にらさき〉)で痛恨の敗戦を喫し、武田の軍門に降(くだ)る形で和睦せざるを得なくなった。
 頼満は頼重を嫡孫として家督を譲り、自らは出家して碧雲斎(へきうんさい)と名乗った。
「……それがしが非力な若輩者ゆえ、武田に後れをとってしまいました。申し訳ござりませぬ」
 頼重は申し訳なさそうな顔で頭を下げる。 
「いや、そなたのせいではない。これは諏訪家にとっての試煉(しれん)なのだ。今はじっと耐え、挽回の機を待つしかない。そのためにも村上義清と盟を結んでおく必要がある」
「わかりました」
「武田との縁組についても、それほど思い詰める必要はない。先方から質を取るぐらいの心持ちでいた方がよかろう。娘を嫁に出したとあらば、信虎もしばらくは当家に無体なことをすまい。それを利用して諏訪を固めるのだ」
「承知いたしました」
「甲斐一国を制したとて、信濃への進出はさほど甘くはない。とうてい一筋縄でいくはずもなく、信虎は必ずどこかでつまずく。その機を逃さぬことだ。まあ、つまずく前に信虎をけしかけ、宿敵の小笠原を攻めさせるのも一興やもしれぬ。小笠原長棟(ながむね)がいなくなれば、われらが松本平を制するのは造作もない。諏訪と松本を手に入れれば、当家も大きく飛躍することができるであろう。さすれば、そなたが信濃の守護になることさえ夢ではなくなる。それがこの大乱世の生き残り方というものだ……」
 そこまで話し、頼満は大きく咳き込む。
「大丈夫にござりまするか」
 頼重は祖父の肩をさする。
「……少し昂(たか)ぶりすぎたようだ。されど、頼重。この身はさほど長く保たぬであろう。これからはそなたが諏訪の一統を率い、自領を大きくしていかねばならぬ。そのために、今の話を忘れるでないぞ」
「お爺様、養生なされば、また元気に戻りまする」
「いや、この軆のことは、儂(わし)が一番よくわかっておる。このところ、背中の癰がだいぶひどくなり、痛みが止まらぬ。この命がある間に村上との盟約を含め、あらゆる下拵(したごしら)えをしておくゆえ、それを有効に使って諏訪の惣領として大きくなるのだ」



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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