「……当家が村上義清と同盟?」 「さようだ。村上もそれには乗り気のようだ。あの者も諏訪の重要さを知っておるからな。だから、武田よりも先にわれらが盟を結ぶ」 「……それは、武田への裏切りになりませぬか?」 「なにゆえか。われらよりも後に武田が村上と盟を結んだならば、それはそれでよし。もし、盟約がならなかったとしても、われらは素知らぬ振りをしておればよい。村上義清との盟は、あくまでも密約だからな。わざわざ武田に伝えることもなかろう」 「されど、もしも、武田と村上が戦いとなったならば?」 「その時に、どちらと手を組むかを考えればよかろう。当家にとって、より利のある方に付けば良いだけだ」 皺(しわ)だらけの顔を歪(ゆが)め、頼満が笑う。 「……武田と村上を両天秤にかけると」 頼重はさらに驚愕(きょうがく)の面持ちとなった。 「臆することはない。どちらと本気で盟友になるか、それを選択をする権利は、われらの側にある。よいか、頼重。これだけは言っておく」 「……はい」 「われら諏訪の一統は、武田の家臣ではない。今はやむなく盟を結んでいるが、いつまでも風下にいるつもりはない。諏訪家は代々、太古から軍神(いくさがみ)を祀(まつ)る諏訪大社の大祝(おおはうり)を務めてきた誉れ高き一族なのだ。その矜恃(きょうじ)だけは、なんとしても守り通さねばならぬ」 頼満が言ったように、諏訪大社は信濃国の一宮であり、延喜式の神名帳(じんみょうちょう)にも南方刀美神社(みなかたとみのかむやしろ)と記され、日本最古の社のひとつといわれるほどの由緒がある。「神功(じんぐう)皇后の三韓出兵や坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の東夷(とうい)平定にも諏訪大社の神助あり」と伝えられ、「関より東の軍神、鹿島(かしま)、香取(かとり)、諏訪の宮」と謡われる式内社(名神大社)とされた。 そして、武門の守護神と崇(あが)められる大社の中で、諏訪家は大祝の職を世襲してきた。 通常、祝は神道において神主や禰宜(ねぎ)に次ぐ神職とされているが、諏訪大社の場合、大祝は権祝(ごんのはうり)、擬祝(こりのはうり)、副祝(そえのはうり)の上に君臨する筆頭である。 「元々、当家は武田と戦い、信濃への侵攻を阻止してきたのだ。信虎が最初に諏訪へ攻め入ろうとした時も、この身とそなたの父が国境の神戸境川(ごうどさかいがわ)(諏訪郡富士見町)の合戦であ奴を撃退したのだ。われらの軍勢は決して武田に劣っておらず、むしろ頼隆(よりたか)の采配は信虎よりも勝っていた。そなたの父にあのようなことがなければ、武田との和睦など必要なかった」 諏訪頼隆は頼満の長男であり、頼重の父である。