盃と片口を手に取った晴信が手酌で酒をそそぐ。 「あっ!」 慶子と常磐が同時に声を上げる。 「……気が付きませぬで、申し訳ござりませぬ。お酌ならば、わたくしに」 立ち上がろうとした慶子を、晴信が制止する。 「待たれよ、慶子殿。今宵は楽にしたいゆえ、酌はいらぬ。それよりも、そなたも一献どうか」 「……重ねて申し訳ござりませぬ。……御酒を……いただき慣れておりませぬ」 「さようか。ならば、無理強いはせぬ。板垣、そなたが相伴してくれ」 もうひとつの盃に酒を注ぎ、信方に手渡す。 「有り難き仕合わせ。御相伴に与(あずか)りまする」 盃を両手で受けとってから小声で囁(ささや)く。 「……召し上がり過ぎませぬように」 「わかっておるよ」 晴信は盃を干してから、大きく息をついた。やっと軆(からだ)の緊張が解けてくる。 「ところで慶子殿。まだ贈り物の礼が済んでいなかった。冷泉(れいぜい)為和(ためかず)様の歌会で面目を施すことができ、大変に助かった。かたじけなし」 「……さように申していただけると、わたくしも嬉しゅうござりまする」 慶子は恥ずかしそうに俯く。その頬にほんのりと赤みがさしている。 「遠慮のう箸をお付けなされ。ここでの気兼ねは必要ない」 「有り難うござりまする。では、御言葉に甘え、いただきまする」 頭を下げてから、慶子は箸を手にした。 「初めての歌会で緊張したが、何とかそつなくこなすことができた……」 晴信は先日行われた歌会の様子について語り出す。 いつにも増して饒舌(じょうぜつ)な主(あるじ)を、信方は驚きの表情で見ていた。 ――何かを喋っておらねば、間が持たぬ……。 晴信は己の沈黙による気まずい静寂を怖れていただけだ。 そのかいもあってか、慶子も笑顔になり、少しずつ膳に手を付け始めた。