連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)5 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 晴信は慶子を伴い、父の信虎(のぶとら)と大井の方に挨拶を行い、祝いの膳をともにしなければならず、花嫁が最も緊張する儀式だった。
 もちろん、晴信にとっても気の抜けない席となるはずであり、明日は父母と花嫁の双方に最大限の気配りをしなければならない。いわば婚儀の中での山場であり、そのことを素直に認めた。
「わかった。では、そなたの言葉に甘え、先に休ませてもらう」
「ごゆるりと」
 信方は晴信が床に入ったのを見届けてから室を後にする。
 ――明日、何事もなければよいが……。
 その心配には及ばず、翌日、意外にも色直しの儀は粛々(しゅくしゅく)と進んだ。
 父の信虎も落ち着いた態度で過ごし、口数も少ない。ただ長男の新しい嫁を値踏みするように、その所作を眺めているだけだった。
 そして、夜になると近親の者を招いたお披露目の宴席が設けられた。
 三日目にやっと家臣たちが相伴する宴が催され、ここではすでに堅苦しい儀式はなく、だいたい武門の通例で無礼講の果てしない酒宴となった。
 宴もたけなわとなった頃、やっと中締めが行われ、雛人形のように座っていた新郎新婦が宴席から解放される。控えの間に戻ってから、慶子は疲れ果てたのか、少し放心したように身を縮めていた。
 それを見た晴信は、すぐに助け船を出す。
「長い間、気を遣うことも多く、お疲れではありませぬか。重い装束をお着替えになってはいかがか」
 その言葉に、慶子は驚いたように顔を下げる。
「……されど」
「その方がよい。それがしが常磐殿を呼びにいくゆえ、しばし待たれよ」
「……はい。過分なお気遣い、有り難うござりまする」
「ああ、それと、これまで膳の物にはほとんど箸を付けておらぬように見受けたが、お腹は空いておらぬか?」
「……あ、いいえ」
「この身はほとんど喰べておらぬゆえ、背中と腹がくっつきそうだ。喰べられそうな物を見繕ってくるゆえ、相伴してくれぬか」
「はい……」
 慶子は恥ずかしそうに俯(うつむ)く。
「では、手配りしてくる」
 晴信は室を出て、侍女頭の常磐の処(ところ)へ行く。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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