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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)21 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「引くのではなく、動いてくれと頼んでいる。武川衆が割れぬために」
 晴信は強い口調で言い放つ。
「……それは……いかなる意味にござりまするか?」
「このまま武川衆が分裂してしまえば、武田にとっては百害だけが残り、一利もなくなる。それゆえ、青木殿、武川衆が割れぬよう、そなたにまとめてもらいたい」
「……今ひとつ、申されている意味が……」
「直訴など止め、そなたが筆頭として武川衆をまとめるよう動いてほしいと頼んでおる」
「……御屋形様のお許しもなく……さように勝手なことが……できるはずもありませぬ」
「ならば、こうしよう」
 晴信は丹田(たんでん)に力をこめ、気合の入った声を発する。
「御屋形様には、隠居していただく」
 そう言い切った晴信の顔を、青木信種と駒井信為は呆気(あっけ)にとられながら眺めていた。
 まるで晴信の声が聞こえていないような顔つきだった。
 いや、聞こえてはいたが、すぐに言葉の意味を理解できなかったのである。
「……い、いま……何と?」
「御屋形様には隠居していただくと申した」
 晴信はもう一度繰り返す。
 不退転の決意を秘めた声が、大広間に重々しく響きわたる。
 すでに事情を知っている家臣たちも、思わず息を呑むほどの覚悟が伝わっていた。
「それに合わせ、土屋殿も一緒に隠居し、側仕(そばづか)えをしてもらう。駿府へ同行した側近たちも隠居してもらった方がよかろう。さすれば、武川衆の筆頭と家宰の職は空席となるゆえ、直訴の必要などなくなる。代わって、われらが甲斐一国の立て直しを行うゆえ、青木殿、そなたには武川衆をまとめてもらいたい。もちろん、土一揆など起きぬよう、郷村への働きかけも手伝ってほしい。代替わり徳政をもって、すべてを丸く収めたいのだ」
 晴信は燃えるような眼差しを相手に向けた。
「……はぁ?」
 青木信種は狐につままれたような顔で睫毛(まつげ)をしばたたかせる。
「……さ、さようなことが……御屋形様の御耳に入ったならば、ただでは済みませぬぞ。く、首が……飛びかね……ませぬぞ」
「こうして、この座に就いた時から、相応の覚悟はしているつもりだ。すでにこの命は、己のものとは思うておらぬ。だから、ただ甲斐と武田一門を再建するためだけに使う。それゆえ、御屋形様には隠居していただかねばならぬ」
「しょ、正気にござるか。さようなことを勝手に申されて……信繁様(のぶしげ)は……御屋形様が跡目と認めた信繁様がさようなことを……」
「信繁!」
 晴信が凛(りん)とした声を発する。
「こちらへ」
「失礼いたしまする」
 そう言いながら、大上座の奥から信繁が現れた。
 その脇には、傅役(もりやく)の甘利(あまり)虎泰(とらやす)も付き添っている。
 青木信種と駒井信為の視線が釘付けになる中、信繁は御一門衆の席である上座の筆頭に座った。
「信繁、そなたがいかように思うておるか、皆に聞かせてくれぬか」
 晴信の問いに、信繁は背筋を伸ばして答える。
「それがしは兄上の仰せの通りにいたしまする。もとより、兄上を差し置いて跡目となるつもりなどありませぬ」
 信繁もきっぱりと言い切った。
 その様を、青木信種は口を半開きにしたまま見つめている。
「さようか。では、御屋形様に御隠居していただくことについてはどうか?」
 晴信はさらにたたみかける。
「それにつきましても、兄上に従いまする」
「甘利、そなたはどうか?」
「異存、ござりませぬ。信繁様と一緒に、晴信様が目指される再建をお支えしとうござりまする」
 甘利虎泰は両手をつき、深々と頭を下げる。
 一連のやり取りを、青木信種は呆(ほう)けたように見ていた。確かに、これまでではあり得なかった光景である。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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