「御二方が上洛の折には、麿(まろ)が案内役を務めさせていただきましょう。御主上(みかど)への拝謁なども、お任せあれ」 冷泉為和が火に油を注ぐようなことを口にする。 「それはよい。是非にお願いいたしまする。まずは小笠原を倒して信濃を制覇せねばな。為和様、その際には信濃守護職の周旋をお願いいたしまする」 「わかりました」 「それまでに信濃から財を吸い上げ、万端の支度をしておきまする。京でいくらでもばらまけるように」 その後も、信虎は大言壮語を撒(ま)き散らして憚(はばか)らず、ほとんど泥酔の状態になっても盃を放さなかった。 それを見た太原雪斎が微(かす)かに眉をひそめ、それとなく土屋昌遠に目配せする。 ─今宵はそろそろ、お開きといたしましょう。 そんな意味の合図だった。 「まだ呑み足りぬわ!」 ごねる信虎を、やっとのことで家臣たちが寝所へ連れ出し、酒宴はお開きになった。 さすがに呆(あき)れ顔となった冷泉為和と公家衆も退散し、室には今川義元と太原雪斎だけが残る。 「……まったく、連夜にわたり、かような酒宴では身が持たぬな。舅(しゅうと)「殿は毎晩、よくも平気であれだけ呑めるものだ。蟒蛇(うわばみ)とは、よく言うたものだ。まことに底なしではないか」 苦笑を浮かべた義元がぼやく。 「あのような酒癖は、いずれ身を滅ぼしまする。長くは保ちませぬ」 太原雪斎が憮然(ぶぜん)とした面持ちで答える。 「ところで、御屋形(おやかた)様。甲斐の板垣(いたがき)信方(のぶかた)殿から急ぎの連絡が届きましてござりまする」 声を潜めた軍師を見て、義元は眼を見開く。 「例の件か!?」 「さようにござりまする」 「して、いかような結論となった」 「われらの思惑通りに動いてくれそうにござりまする」 「まことか!」 「やはり、わが諜知(ちょうち)通り、甲斐の新府では次なる家宰(かさい)の座を巡って諍(いさか)いがあるようにござりまする。板垣殿は晴信(はるのぶ)殿を説得し、それを止めるための勢力として立つことになると。その際には、当家の助力も願いたいとのことにござりまする。武田の家中で特に武勇に優れた者たちも晴信殿の側に廻(まわ)ったそうで、おそらく騒ぎは問題なく収まるのではありませぬか」 「なるほど、そなたの描いた絵図通りか」 「それがしの策というよりも、必然の成り行きにござりまする」 太原雪斎は薄く笑う。 それを見た今川義元が顔をしかめる。 「されど、そうなると舅殿が駿府に居座ることになるのではないか。毎晩、酒席の相手はできぬぞ」 「さようにぼやかれまするな。晴信殿が武田を嗣(つ)いだ方が、御屋形様や今川家には利がありまする。何にせよ、晴信殿は理詰めで話ができる相手にござりますゆえ。北条(ほうじょう)家の代替わりと合わせ、三国の中で御屋形様が最も力のある惣領(そうりょう)として他国と話ができるようになりまする」 「まあ、そうなのだが……」 「御屋形様、かようにお考えくださりませ。信虎殿は恵姫(けいひめ)様と同じく、あくまでも武田家からの質。いざとならば、その命を楯に晴信殿と折衝すればよろしかろうと。姉上と同じく父親を見殺しにできる長男などおりませぬ。つまり、今川家は武田家に多大な貸しをつくることになりまする。その貸しはゆるりと取り戻せばよろしいではありませぬか。甲斐と南信濃が安定すれば、当家は西へ出やすくなりまする」 「そうだな。されど、晴信殿が父上を質と思うていなかった時はどうする、雪斎?」 「その時は、その時。当家が面倒をみる筋合いではなくなりますゆえ、いずこへなりとも行っていただけばよいのでは。たとえ、それが墓の中だとしても」 太原雪斎は底冷えするような顔で笑う。