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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)21 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「御二方が上洛の折には、麿(まろ)が案内役を務めさせていただきましょう。御主上(みかど)への拝謁なども、お任せあれ」
 冷泉為和が火に油を注ぐようなことを口にする。
「それはよい。是非にお願いいたしまする。まずは小笠原を倒して信濃を制覇せねばな。為和様、その際には信濃守護職の周旋をお願いいたしまする」
「わかりました」
「それまでに信濃から財を吸い上げ、万端の支度をしておきまする。京でいくらでもばらまけるように」
 その後も、信虎は大言壮語を撒(ま)き散らして憚(はばか)らず、ほとんど泥酔の状態になっても盃を放さなかった。
 それを見た太原雪斎が微(かす)かに眉をひそめ、それとなく土屋昌遠に目配せする。
 ─今宵はそろそろ、お開きといたしましょう。
 そんな意味の合図だった。
「まだ呑み足りぬわ!」
 ごねる信虎を、やっとのことで家臣たちが寝所へ連れ出し、酒宴はお開きになった。
 さすがに呆(あき)れ顔となった冷泉為和と公家衆も退散し、室には今川義元と太原雪斎だけが残る。
「……まったく、連夜にわたり、かような酒宴では身が持たぬな。舅(しゅうと)「殿は毎晩、よくも平気であれだけ呑めるものだ。蟒蛇(うわばみ)とは、よく言うたものだ。まことに底なしではないか」
 苦笑を浮かべた義元がぼやく。
「あのような酒癖は、いずれ身を滅ぼしまする。長くは保ちませぬ」
 太原雪斎が憮然(ぶぜん)とした面持ちで答える。
「ところで、御屋形(おやかた)様。甲斐の板垣(いたがき)信方(のぶかた)殿から急ぎの連絡が届きましてござりまする」
 声を潜めた軍師を見て、義元は眼を見開く。
「例の件か!?」
「さようにござりまする」
「して、いかような結論となった」
「われらの思惑通りに動いてくれそうにござりまする」
「まことか!」
「やはり、わが諜知(ちょうち)通り、甲斐の新府では次なる家宰(かさい)の座を巡って諍(いさか)いがあるようにござりまする。板垣殿は晴信(はるのぶ)殿を説得し、それを止めるための勢力として立つことになると。その際には、当家の助力も願いたいとのことにござりまする。武田の家中で特に武勇に優れた者たちも晴信殿の側に廻(まわ)ったそうで、おそらく騒ぎは問題なく収まるのではありませぬか」
「なるほど、そなたの描いた絵図通りか」
「それがしの策というよりも、必然の成り行きにござりまする」
 太原雪斎は薄く笑う。
 それを見た今川義元が顔をしかめる。
「されど、そうなると舅殿が駿府に居座ることになるのではないか。毎晩、酒席の相手はできぬぞ」
「さようにぼやかれまするな。晴信殿が武田を嗣(つ)いだ方が、御屋形様や今川家には利がありまする。何にせよ、晴信殿は理詰めで話ができる相手にござりますゆえ。北条(ほうじょう)家の代替わりと合わせ、三国の中で御屋形様が最も力のある惣領(そうりょう)として他国と話ができるようになりまする」
「まあ、そうなのだが……」
「御屋形様、かようにお考えくださりませ。信虎殿は恵姫(けいひめ)様と同じく、あくまでも武田家からの質。いざとならば、その命を楯に晴信殿と折衝すればよろしかろうと。姉上と同じく父親を見殺しにできる長男などおりませぬ。つまり、今川家は武田家に多大な貸しをつくることになりまする。その貸しはゆるりと取り戻せばよろしいではありませぬか。甲斐と南信濃が安定すれば、当家は西へ出やすくなりまする」
「そうだな。されど、晴信殿が父上を質と思うていなかった時はどうする、雪斎?」
「その時は、その時。当家が面倒をみる筋合いではなくなりますゆえ、いずこへなりとも行っていただけばよいのでは。たとえ、それが墓の中だとしても」
 太原雪斎は底冷えするような顔で笑う。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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