よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「説得するつもりはない。これ以上、生きていても仕方がないと、頼重殿に悟ってもらうだけだ。幽閉は蟄居(ちっきょ)とは、まったく違う」
 そう言った昌俊の表情が冷たく強ばる。
「光も満足に入らぬ座敷牢のようなところで、家畜の餌の如(ごと)き食事しか与えられず、外に出られる見込みもないとわかれば、人の希望など三日もすれば簡単に打ち砕かれる。自害でもした方が楽になれるのではないか。そんなことが絶えず頭の中をよぎるようになる。そうなれば生ける屍(しかばね)も同然であり、本物の屍になるまで、背中をほんの一押ししてやるだけでよい」
 昌俊がくぐもった声で言った。 
 二人には心なしか空気も重くなっているように思えた。
「……そこまで頼重殿を追い込むということにござるか?」
 原虎胤が訊く。
「そうするしかあるまい」
 昌俊は抑揚のない口調で答えた。
 ――やはり、こたびの加賀守殿は、これまでとはまったく違う。自らに非情を課し、一切の容赦をすまいと、心を決めておられるようだ。おそらく、武田家の今後のために、己で泥を被るつもりなのであろう。それにしても、凄まじい。人を自害にまで追いこむ幽閉とは……。
 さすがの鬼美濃も背筋にうすら寒いものを感じていた。
 甘利虎泰も同じように感じたようで、怪訝(けげん)そうな顔で訊ねる。
「加賀守殿、そこまで思い詰めておられるとは、いったい諏訪と何がありましたのか?」
「諏訪か……」
 原昌俊は微(かす)かな苦笑を含み、言葉を吞み込む。
 それから、しばらく黙り込み、記憶でもなぞるように何かを考えていた。
 二人はその様子を黙って見守っていた。
「……諏訪家と何かあったというわけではない。……いや、あったと言うべきなのかもしれぬ。やはり、そなたらには話しておいた方がよさそうだ」
「是非、お聞かせいただきたい」
 甘利虎泰が答えた。
「今から十五年ほど前の話だ。それがしは諏訪との戦(いくさ)でしくじった。ちょうど信虎(のぶとら)様から陣馬(じんば)奉行の大役を任された直後だった」
「十五年前の戦といえば……神戸(ごうど)と境川(さかいがわ)の合戦にござるか?」
 原虎胤が訊く。
「さよう。こたびと似たような、あの忌まわしい戦だ」
 神戸と境川の合戦は、享禄(きょうろく)元年(一五二八)、今川(いまがわ)氏輝(うじてる)との和睦をなした武田信虎が、後顧の憂いを断って仕掛けた諏訪への侵攻だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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