よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 それから五日が経ち、今度は加藤信邦が直接報告に訪れる。
「頼重殿がどうしても加賀守殿にお話しいたしたきことがあると申しておりまする」
「しばらくは静かにしていたか?」
「はい。前回の面会の後は二日ほど壁を叩いたり、喚(わめ)き散らしたりしておりましたが、その後は急に静かになりました。本日あたりは、差し入れた食事にも、ほとんど手をつけておりませぬので、ご報告にまいりました」
「さようか。では、会いに行こう」
 原昌俊は加藤信邦と東光興国禅寺に向かう。 
 ─ひとしきり暴れた後で、おそらく心が折れたのだろう。
 そう直感していた。
 前回よりも大きな蝋燭を手に土蔵へ入ると、諏訪頼重は正座していた。
「お話を伺いにまいりました」
 原昌俊の声に、頼重はゆっくりと顔を向ける。
「……ああ、かたじけなし。この前の話なのだが」
「はい」
「……自害……することにした」
「はい」
「……ここにいることに……疲れた」
「さようにござりまするか」
「……その前に、御方と寅王丸には会えるか?」
「残念ながら」
「……許されぬのか?」
「かえって未練が出てしまうのではありませぬか」
「……ああ、そうかもしれぬな。外にも出られぬか?」
「残念ながら。されど、半日ぐらいならば、蔵の扉と雨戸を開け、外の空気を吸えるようにして差し上げられまする。もちろん、新しい装束一式と最後の膳も用意させていただきまする」
「……さようか」
「支度はいつにすればよろしゅうござりまするか?」 
「逆に訊ねたい。いつにすればよい?」
「では、明後日では、いかがにござりまするか?」
「そうしてくれ」
「では、御屋形様に報告してまいりまする」
 原昌俊は立ち上がる。
 諏訪頼重はまっすぐ壁を見つめたまま、眼で追おうともしなかった。
 ――覚悟が決まったというよりも、諦めたということか。
 そう思いながら躑躅ヶ崎館に戻り、原虎胤と甘利虎泰を集めた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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