よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)12

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「……確かに、諏訪が完全に落ち着いた後は、佐久(さく)や小県の者どもに示しをつけねばならぬ。禰津といえば滋野御三家のひとつであり、その者がいち早く当家の麾下(きか)に入れば、周辺の国人衆もこれからのことを考えるやもしれぬな。できれば、佐久や小県ではなるべく武力を使いたくない」
「はい。その通りだと思いまする。加えて、禰津元直殿から内々の申し入れがあり、もしも臣従が許されるのならば、忠誠の証(あかし)として元直殿の息女を御屋形様の御側においていただけぬかと」
「御屋形様の御側……側室……ということか!?」
 信方が思わず仰(の)け反(ぞ)る。
「はい。先方の本気を示したいということなのでありましょう」
「御側室か……。太郎様がお生まれになり、三条(さんじょう)の御方様との仲は良好であり、今あえて水を差すような輿入(こしい)れをすべきかどうか……」
「まあ、さもありなんという状況でありましょうな。御側室の件については、まだ伏せておくとして、禰津家の臣従に関しては、なるべく早いうちに御屋形様にご判断いただいた方がよいかと。こたびのことを聞きつけ、村上(むらかみ)が黙って手をこまぬいているとは考えられませぬ」
「わかった。して、もうひとつの話は?」
「こちらはまだ不確かな風聞にすぎませぬが、大事なことだと判断し、お伝えいたしまする。実は諏訪頼重殿に、われらの知らぬ忘れ形見がいると」
「忘れ形見!?……遺児ということか。どういうことだ?」
「禰々(ねね)様が嫁がれる前に、頼重殿には於太(おだい)という内縁の女がおり、この者は筑摩(ちくま)郡の麻績(おみ)家の出自らしく、小笠原(おがさわら)とも縁の深い一族ゆえ、長らく側室にも上がれなかったそうにござりまする。されど、頼重殿の間に女子(おなご)を授かり、一緒に本城で暮らしていましたが、そこに禰々様との縁組の話が持ち上がり、この女と娘に暇(いとま)を出したのではないかと」
「……息女か」
 信方は少し安心したように呟(つぶや)く。
「聞くところによりますれば、麻亜(まあ)という娘は三国一の美しさであり、頼重殿が溺愛されていたそうにござりまする。いずれは、内縁であった於大を側室に迎えるか、娘を養女にするつもりであったという話にござりまする」
「その者たちが何処(いずこ)におるか、居場所はわかっているのか?」
「はい。萩倉(はぎくら)の隠れ城、山吹(やまぶき)城ではないかと」
「金刺の詰城(つめのしろ)か」
 信方が言ったように、山吹城は砥川(とがわ)と東山道(とうさんどう)を望む萩倉の峰に築かれた城であり、元々は金刺家の居城であった桜(さくら)城の詰城だった。
 しかし、桜城からは視認することができなかったため、萩倉の隠れ城とも呼ばれていた。
「さようにござりまする。当初は高島(たかしま)城にいたようにござりますが、やはり、あまりに近すぎるということで母子共ども山吹城へ移されたのではありませぬか」
「うぅむ。頼重殿に当家の知らぬ子がおったとはな……。後々の禍根とならねばよいが」
「この話が聞こえてきた裏には、金刺堯存殿の動きがありまして、麻亜という娘の評判を聞きつけ、探したようにござりまする。できれば、己の室に迎えたいと申しているとも」
「金刺が頼重殿の隠し子を室に、だと……。それは聞き捨てならぬな」
 信方の表情が一変する。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number