第三章 出師挫折(すいしざせつ)12
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「詫(わ)びには及ばぬ。覚悟の上で、遣(や)りきったことだ。されど、於禰々様のことだけは、まことに不覚であった」
「おそらく、若も妹君のことで悩まれているのだと思う。とにかく今は於禰々様が気を安らかに保ち、肥立ちを回復させられるように考えるしかない。とはいえ、われらにはどうしようもなく、大井(おおい)の御方様に頼るぐらいの案しか思い浮かばぬのだが……」
「御屋形様から寅王丸様のことについて、お話いただくのはどうだろうか?」
「どのような話だ」
「寅王丸様が必ず諏訪家の惣領(そうりょう)になることを於禰々様に伝え、それを当家が総力を上げて、お支えすると約束する。ついては、寅王丸様には一度、武田の名跡に入っていただき、改名なさるというのはどうか」
昌俊の提案に、信方は小首を傾げる。
「改名?……たとえば?」
「たとえば……。そうだな、諏訪大社の本宮(ほんみや)を千代、八千代に守っていくという意味で、千代宮丸(ちよみやまる)様とか、とにかく縁起の良い幼名だ。その改名の儀を新府で行い、家中の者どもが揃って御祝いをする様を見ていただければ、於禰々様のお気持ちも少しは晴れるのではないか」
「なるほど、家中上げての改名の儀か。それはよいかもしれぬな。若と話をしてみるか」
「頼む、信方。して、そなたの話とは?」
「先ほど若にご報告した禰津の件なのだが、まだ話をしていないことがあるのだ。その件に関しては、そなただけに伝えておきたい。禰津元直は娘を若の側室にしてくれぬかと申しているらしい」
「側室……。まことか?」
「そうなのだ。これから直に話し、真意を確かめなければならぬが、禰津元直としては忠誠の証というつもりらしい。まあ、若が側室を受け入れるとは限らぬし、その娘を気に入るかどうかも含め、問題は多々あるだろう。ただ難しいのは、その話をいつ切り出せばよいかということを相談したかった」
「少なくとも、今ではなかろう。太郎様も成長の途上であり、三条の御方様との仲も非常に睦まじいのだから、わざわざ火種を作ることもあるまい。お若い御屋形様には、かえって重荷となるのではないか」
原昌俊は顔をしかめながら答えた。
「やはり、そう思うか」
「ああ、様子を見た方がよかろう」
「わかった。そのつもりで、禰津元直に会ってみよう。ところで、つまらぬ話なのだが、もうひとつ聞いてくれぬか」
信方が頭を搔きながら切り出す。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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