よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)12

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「水くさい。何でも話せ」
「実は、わが愚息のことなのだ」
「おお、信憲(のぶのり)のことか。最近、姿を見ぬが、元気にしておるのか?」
「あまりにも、ぼんやりしておるゆえ、曲淵(まがりぶち)吉景(よしかげ)と一緒に長禅寺(ちょうぜんじ)の岐秀(ぎしゅう)禅師の下へ修行に出しておる。そなたの倅(せがれ)の隼人(はやと)や、鬼美濃(おにみの)の倅、甚四郎(じんしろう)は近習(きんじゅ)として勤めを果たしているというのに、二十にもなって何の大望も欲もなく、覇気もないので、活を入れてもらうことにした。このままでは恥ずかしくて表に出せぬ」
 信方が言ったように、原昌俊の長子である隼人は齢(よわい)十二だが、すでに近習として晴信に仕えている。
 原虎胤の次男、甚四郎は齢十四で近習の中でも上の方であり、元服を済ませれば使番(つかいばん)になるはずだった。
 一方、信方の長男、板垣信憲はすでに齢二十となっていたが、家中で主だった役目についていない。晴信とは歳(とし)が近かったため近習にはならず、侍大将となるための修行をさせていたが、生まれつき柔和な性格が災いしてか、信方が望むような進展がなかった。
「まあ、信憲はおっとりしているからな。大器晩成と見てやればよかろう」
 原昌俊が苦笑しながら言う。
「そうも言っておられぬ。信憲の面倒を見させている吉景が可哀想だ。あの者は齢二十五になり、本来ならば足軽大将に推挙できるぐらいの才と能を持っている。されど、今は信憲の傅役(もりやく)に徹し、愚痴ひとつこぼさぬ。ここいらで、そろそろ面目を立ててやらねばならぬと思うておる。それに引き替え、わが倅のていたらくときたら……」
 苦々しい顔で、信方がぼやく。
 信方の家臣である曲淵吉景は小姓から取り立てられ、すでに筆頭格に成長していたが、信憲の傅役を引き受け、まだ武田の直臣とはなっていなかった。
「ならば、いっそ、二人とも諏訪へ連れて行けばよいではないか」
「諏訪へ?」
 信方が眉をひそめながら思案する。
「……いや、だめだ。側に置くと、余計にぼんやりするだけだ」 
「ならば、そなたの側には置かぬことだ。曲淵と一緒に駒井昌頼あたりの下につけ、直に仕事を学ばせればよい。諏訪は当家にとって、いわば最も戦に近い前線だ。新府にいるのとは、緊張感が違う。そういった切迫を肌で感じながら動けば、おのずと考えも変わるはずだ。習うより慣れよ。近くに歳の近い者もいるし、信憲にとってもその方がよい。曲淵が優秀ならば、その中でも頭角を現してくるだろう」
「なるほど。そういうことか」
「それならば、この身も陣馬(じんば)奉行として力になれる」
「かたじけなし」
「礼には及ばぬ。いずれ、隼人もそなたの世話になるだろうからな」
 昌俊は笑みを浮かべる。
「さっそく二人を呼び戻して話をするとしよう。そなたに相談してよかった」
 信方もやっと笑顔になり、二人は会談を終えた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number