よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)12

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 新府から長禅寺に遣いを出し、信方は息子の信憲と曲淵吉景を呼び戻す。
 屋敷に着いた信憲は強ばった表情で信方の前に座る。
「……急なお呼びで、いかがなされましたか、父上」
 少し後ろに曲淵吉景が控えていた。
「急な話だが、そなたら二人には諏訪へ来てもらう。岐秀禅師にはこちらから話を通しておくゆえ、いつでも動けるように支度をいたせ」
 信方の言葉に、信憲は不安そうな顔で曲淵吉景の方に振り返る。
「吉景、そなたには信憲の傅役としてではなく、板垣の家臣として諏訪での役目を与えてもらう。そのつもりでいてくれ」
「……父上、この身は?」
 信憲は上目遣いで訊く。
「そなたも同じだ。武田家の一員として諏訪での役目を果たしてもらう。ただし、父の下ではなく、若い侍大将について仕事を学ぶのだ。そなたらも聞き及んでいるだろうが、今は諏訪の件で人手が必要となっている。いつまでも修行などとは言っていられなくなった。心して役目についてもらいたい。どうだ、できるか、信憲」
「……はい。父上のご命令とあらば」
「さようか。ともあれ、吉景と離れることもないゆえ、二人で切磋琢磨(せっさたくま)しながら、しっかりとその場で仕事を覚えていくがよい。日程については、追って知らせる」
「承知いたしました」
 不安を拭えぬ表情のまま、信憲が頭を下げる。
「有り難き仕合わせにござりまする」
 曲淵吉景は瞳を輝かせながら、平伏した。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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