第四章 万死一生(ばんしいっしょう)9
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……まことにござりまするか?」
「まことだ。こうすることが遅すぎたとさえ思うておる」
「身に余る仕合わせにござりまする。されど……されど、御屋形様の御世話をする者がいなくなっては……」
「信房。もしも、後輩に近習頭の役目を託すとしたら、そなたは誰が適任と考えるか?」
「それは……」
眉間に皺(しわ)を寄せ、真剣に考えた上で答える。
「……長幼の順から考えますれば横田(よこた)康景(やすかげ)、次に香坂(こうさか)昌信(まさのぶ)、秋山(あきやま)虎繁(とらしげ)あたりが候補になるのではないかと」
信房が言った横田康景は今年で齢(よわい)二十三になり、香坂昌信と秋山虎繁は共に一つ下の齢二十二である。
康景は横田姓を名乗っているが、元々は原虎胤(とらたね)の長男であり、嫡男に恵まれなかった横田高松(たかとし)の願いで婿養子となった。
香坂昌信の実父は春日(かすが)大隅(おおすみ)だが、幼い頃に討死にし、香坂宗重(むねしげ)に引き取られて養子となっている。
そして、秋山虎繁は先代の武田信虎(のぶとら)の頃から仕える重臣、秋山信任(のぶとう)の嫡男である。
「なるほど、その三名ならば誰が引き継いでも大丈夫そうだ。されど、それすら勿体(もったい)ない」
晴信は微笑しながら答えた。
「勿体ない……とは?」
「あの三名は次の侍大将を担う者たちだ。近習頭の目付役を担ってもらうぐらいならばよいが、余の側に留めておくのは勿体ない。さような意味だ。そうだな……」
顎鬚(あごひげ)をまさぐりながら、晴信が思案する。
「……思い切って藤蔵(とうぞう)あたりを抜擢してみてはどうか?」
「甘利(あまり)を?」
信房は驚きを隠せない。
「……されど、藤蔵はまだ元服を済ましたばかりで、さような大役が務まるかどうか」
「それぐらいでちょうどよい。藤蔵を近習頭とし、宗四郎(そうしろう)や源五郎(げんごろう)の面倒をみながら、次の近習頭に育ててもらおう」
「されど、あの者たちはまだ小姓の行儀を学んでいる最中でありまして……」
「心配か、信房。しかれども、鷹の子は、やはり鷹。鬼備前(おにびぜん)の子は、鬼備前となれるのではないか」
鬼備前とは譜代家老にして信繁の傅役(もりやく)である甘利虎泰(とらやす)のことである。
甘利藤蔵は甘利虎泰の次男であり、今年で齢十六になる近習の一人だった。この者がまだ元服前の三枝(さいぐさ)宗四郎や長坂(ながさか)源五郎らの小姓を近習にするべく教育していた。
「余の世話ならば素早く動ける者だけがおればよい。藤蔵を近習頭とし、宗四郎や源五郎をさらに幼い小姓たちの教育係とし、広く家臣たちの息子(そくし)を募ることにする。近習頭の目付役はそうだな……昌信に引き受けてもらおう。大目付はもちろん信房、そなただ。これからは元服と初陣を済ました近習は、側仕えを卒業させるつもりだ」
晴信は来たるべき世代交代を見据え、まずは己の身辺から制度を変え、手本にしようとしていた。
その意図を、教来石信房も理解する。
「承知いたしました。すぐに、引き継ぎをいたしまする」
「信繁、そなたには使番(つかいばん)を見繕ってもらう」
「はい」
信繁はすぐに頷(うなず)く。
「戦場(いくさば)での伝令は状況の判断を含め、極めて重要な役割となる。しかも素早く、身軽に動かねばならぬ。そなたと同じ年頃から三十路(みそじ)に至らぬぐらいの者の中から選りすぐってくれ」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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