よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)9

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「真田、そなたの危惧はよくわかった」
 晴信が言葉を続ける。
「その上で訊ねたいのだが、不利な状況を打開する策はないのか?」
「ないわけではありませぬが、砥石城を落とすまでの策には至らぬかと。それがしを先陣の先鋒(せんぽう)にお加えいただけますならば、真田郷に点在する敵の拠点を洗い出し、伏兵を潰していくことはできまする。それが終わってから、城攻めのご判断をいただくのがよいのではないかと」
「おいおい……」
 原虎胤が顔をしかめながらぼやく。
「……先陣の先鋒とは、少々、図々しくはないか。それは一番槍をくれと申しておるのと同じことだぞ」
「いえ、さような意味では……」
 真田幸綱は微(かす)かに俯(うつむ)く。
「それに、そなたが申しておったようなことは、この跡部が同じように調べ上げておる。それゆえ、遊軍を増やして伏兵を叩くことがまず先決という策も出しておるぞ。そちが先陣の先鋒におらずとも、戦い方は同じことになりそうだな。それとも、先鋒で動き廻らなければならぬ理由でもあるのか?」
「……先鋒におれば、状況の判断に加え、敵が思わぬ罠を仕掛けてきた時に気づけるかもしれませぬ」
「思わぬ罠、と? なるほどな……。では、あえて訊こうか。そちが難攻不落と申した砥石城は、元々、滋野一統の本城ではなかったか。それが前(さき)の海野平合戦で、いとも容易く村上(むらかみ)に落とされたのは、なにゆえか?」
 皮肉な笑みを浮かべた原虎胤が強烈な問いを放つ。
「それは……」
 真田幸綱は睫毛(まつげ)を伏せ、細く長い息を吐く。
「……城に内通者がおり、村上に寝返りましたゆえ」
「さようか。ならば、滋野一統の身内が村上に本城を売ったということだな。その者は、まだ砥石城におるのか?」
「……わかりませぬ。あの戦の前、滋野一統の中でも、どこと手を携えるか、意見が割れておりましたので」
「まあ、禰津殿もおることだし、あえて、これ以上は訊かぬ。されど、小県の戦に嘴(くちばし)を挟みたいのならば、われらの信用を勝ち得る何かを差し出してからにするべきであったな。口先だけでは、どうにもならぬ」
 原虎胤の辛辣な意見に、真田幸綱も頷かざるを得ない。
「……肝に銘じておきまする」
 強ばった空気を察し、晴信が話を終わらせる。
「真田、そなたの話は参考にさせてもらう。ご苦労であった」
「……失礼いたしまする」
 真田幸綱は沈んだ面持ちで室を退出した。
 その後、しばらく評定の場が重い空気に包まれる。
 それを打開するように信方が口を開く。
「どうやら、これまで二つの城攻めと同じとはまいらぬようだな。されど元々、難しい戦であることは承知の上。最大の問題は、天気のようだ。空模様を睨みながら、慎重に戦いを進めねばなるまい」
 信方に賛同し、甘利虎泰も発言する。
「臆していても仕方あるまい。臨機応変は、戦の常。跡部、小県での諜知は継続しているのだな?」
「はい。現地の修験僧(しゅげんそう)なども味方に引き入れ、細かく探っておりまする。もちろん、われらが着陣した後も、周辺の状況を報告してもらう手筈(てはず)となっておりまする」
 跡部信秋が自信を持って答えた。
 その後はいつもの重臣評定に戻り、進軍の手順と陣立が確認された。
「では、大雪で大門峠が塞がらぬ限り、出陣は予定どおり二月の朔日(ついたち)とする。各々、よろしく頼む」
 晴信が一同に言い渡した。
 そして、長和の長窪城に五千余の兵を揃えた武田勢は、天文(てんぶん)十七年(一五四八)の二月朔日に出陣する。
 まずは大門峠を越え、信濃国分寺を制するべく、千曲川南岸の大屋(おおや)を目指した。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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