よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)9

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 弟の信繁は今年で齢二十四となっており、ちょうど若武者の中ほどにいる。
「兄上、たとえば昌祐(まさすけ)殿は齢二十九のはずにござりまするが、選んでも差し支えありませぬか?」
「工藤の兄の方か。よいのではないか。まあ、昌祐あたりが上限と考えれば、わかりやすかろう」
「では、源四郎(げんしろう)はいかがにござりまするか。あの者はまだ二十に満たない齢十九にござるが、群を抜いて優秀かと」
「飯富(おぶ)源四郎か。確かに動けるな。よかろう、下限をそこに定めよう。使番の総員は十五名ぐらいを目安としてくれ」
「承知いたしました」
「信繁、そなたに使番の編制を任せる意味はわかっておるな?」
 晴信の問いに、信繁は深く頷いた。
「はい。陣馬奉行と武者奉行の眼を持って戦の大局と急所を同時に捉えるため、伝令の働きと戦況をいち早く摑(つか)めという命かと存じまする」
「その通りだ。されど、それだけではないぞ。使番は戦場独特の気配や匂いを瞬時に摑まねば務まらぬ。その感覚に長(た)けた者は、必ず優れた侍大将となるはずだ。つまり、そなたが総大将を務める合戦を迎えた時には、そなたが選んだ使番の者たちが各陣の侍大将に成長しているような人選をしてほしいのだ。わかるか」
「重ねて、承知いたしました」
 信繁は眦(まなじり)を決して頷く。
「さて、昌胤。待たせたな。そなたには、三つのものをよく見てもらいたい」
 笑顔で言った晴信の顔を、原昌胤は瞬きもせずに見つめる。
「加藤信邦(のぶくに)と信繁の動き、そして、戦場での将兵の動きだ。そなたも元服後早々から父に随行して戦場に赴いていたことは知っておる。されど、優れた武将である加賀守の側から見る戦と責を負うて戦場に立つことは、まったく別のことなのだ」
「……はっ」
「加賀守は『わが倅を陣の端に置いてくれれば少なからず役に立つはず』と申した。非の打ち所が見つからぬほど優れた智将が言うのだから間違いはなかろう。昌胤、そなたが幼少の頃から父の薫陶を受け、陣馬奉行としての心得と智慧(ちえ)を学んできたことは存じておる。おそらく、智慧だけでいえば、余や信繁も敵(かな)わないかもしれぬ。されど、時に戦場では智慧よりも経験の方が役立つ時がある。今のそなたには責を負うて戦場に立ち、死なずに戻ることが重要なのだ。その若さで稀代(きたい)の陣馬奉行であった父の代行を務めねばならぬ重圧は並大抵のものではあるまい。だからこそ、焦ってはならぬ。そなたは三つのものを見つめ、常に考えることを続けよ」
「はっ!」
 見開いた原昌胤の双眸(そうぼう)が感涙でうっすらと濡れていた。
「これから版図(はんと)を広げていけば、おのずと城も増えていく。されど、屈強な将兵がおらぬ領土や城ほど悲惨なものはなかろう。これからの当家には、幾世代にも折り重なる人材が必要となる。人材こそが財、家臣こそが力そのものだからだ。そのためには人を育てる仕組みを確立せねばならぬ。戦いを勝ち抜く術(すべ)を知りぬいた加賀守が、病床からそのことを教えてくれた」
 晴信の言葉に、思わず原昌胤が小さく洟(はな)をすすり上げる。
 ――やはり、兄上は加賀守殿に全幅の信頼を置かれていたのだな。それだけに、こたびのことで心を痛めておられたのだろう。確かに、この身も甘利に頼りすぎていたやもしれぬ。兄上の補佐をするために、これからはもっと自立せねば……。
 信繁も己に言い聞かせていた。
「まずは眼前の戦いに勝つことが大事だ。されど、足許を固める策を常に模索することを忘れてはならぬ。そなたらも肝に銘じておいてくれ」
「御意!」
「あの渋面の重臣たちを、少しは楽にしてやろうではないか」
 晴信は笑顔で話を締め括(くく)った。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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