よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第三回

川上健一Kenichi Kawakami

 サックは三浦隆志(みうらたかし)のあだ名だ。高校生の時に、有り金はたいて通信販売で安いコンドームを大量に購入した。同級生たちに高く売りつけて大儲けしようと目論んだのだが、目論見が外れてちっとも売れず、大量に売れ残ってしまった。仕方がないので小川原(おがわら)湖で泳ぐときに二十個ぐらいもふくらませて浮き袋にしていた。以来、同級生たちからはサック三浦と呼ばれている。本人はミュージシャンみたいでカッコいいあだ名だとご満悦だ。今では空調関係の会社の役員をしていて、シンガポールにある子会社の社長も兼ねている。
 ニコライは応援団長だった土橋三之丞(どばしさんのじょう)のことだ。歌舞伎役者のような変わった名前だがれっきとした本名だ。高校時代、冬になるといつも得意気にニコライ帽をかぶって登下校するのでニコライと呼ばれるようになった。レディー・カガとは、十和田語の方言で妻のことをカガといい、水沼たちはアメリカの人気歌手のレディー・ガガをもじってレディー・カガといっている。
「ニコライはしょっちゅうレディー・カガ殿と旅行するよなあ。大したもんだ」
 と水沼は感心する。
「何へってらど。ニコライのレディー・カガ孝行にも困ったもんだんだよ。ニコライのレディー・カガ殿がおらほのレディー・カガに、ニコライど一緒に旅行さ行ぐだの行ってきただのってしょっちゅうへるすけ(いうから)、私はしばらくどこも行ってないってムツケル(不平不満をいってヘソを曲げる)ムツケル。ゴモゴモごんぼほって(グダグダ文句をいって)テヒダ(大変だ)のよ。ホニホニホニ。それはどんでもいいけど、どんだど? C調クレージーキャッツ版『初恋父っちゃ・ジグナシツアー』、行ぐべしよ」
「C調か」
 と水沼はいって回転イスを回して、窓の外に広がる東京湾の空を見上げる。
 去年から大きな仕事が続いてずっと根を詰めてきた。今も大きな仕事が二本入っているが、ディレクターとしても社長としても来週までは比較的手が空く。夏休みも取っていないし、休暇を取るにはいいタイミングだ。去年も一昨年も夏休みは取っていなかった。休みもまとめて取っていない。無意識にため息をつき続けるのは夏沢みどりのことを思って切なくなるからだとばかり思っていたが、身体も心も疲れているからなのかもしれない。そういえばしばらくゴルフもしていない。来月には半年振りのTHBホンジナシ・コンペがある。サック三浦と『山ゆう』店主の三打目カンタービレ山本だけには負けたくない。同じぐらいヘタクソな三浦と山本は、自分の腕前は棚に上げて他のやつらのミスショットに腹を抱えて笑い転げる。水沼と小澤と山本はいつも小さな握りをするのだが、あの二人は勝つと鬼の首を獲ったように大威張りする。それが癪だ。ゴルフ合宿は腕慣らしにもってこいだしいい気分転換になる。山田と小澤と笑いながら旅をするのもいい。お互い、童貞の頃のバカな過去を知っている同級生なので、カッコつける必要がないから気が楽だ。心の底から笑える。夏沢みどりに会うことはできないだろうが、分かっている最後の住所に行ってみれば切ない気持が収まるかもしれない。それに初恋を訪ねていけば、清涼飲料水の初恋プロジェクトに新しいアイデアが湧くかもしれない。
 秋晴れのさわやかな青空の遠くに、うろこ雲が浮かんでいる。明るい空だ。
 水沼は大きく息を吸って、
「リフレッシュかあ」
 といいながら吐き出す。秋晴れの空が胸のもやもやをすっきりさせた気分だ。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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