よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第四回

川上健一Kenichi Kawakami

「ドウドウドウ。落ち着け落ち着け」
 興奮している馬をあやすように、隣の席に座っている山田が水沼に言葉をかけて軽く腕を叩く。
「うん?」
 水沼は我に返って山田を振り向く。
 隣の席の山田と通路側の席の小澤がニヤニヤ笑って水沼を見ている。
「ビヌールよ、ドモハ(イヤハヤ)よ、並木の父っちゃよ。いい歳こいてそったらに(そんなに)入れ込むなって。さっきたから(さっきから)溜め息ばり(ばかり)ついてるど(ぞ)。みどりちゃんに会いたいのは分かるけど、行ってみねば会えるかどうか分がねんで(分からないんだからな)」
 山田が笑いながら十和田弁でいう。ビヌールというのは水沼の数年来のもうひとつのあだ名だ。以前業界のカメラマンに頼まれて雑誌のモデルをしたことがある。小さな記事でノーギャラだった。ワンカットだけだし、横向きの姿勢だったので誰にも気づかれないだろうと引き受けた。ところが「山ゆう」の山本摂が目ざとく見つけ、十和田弁でドモハ・水沼がビヌール本(ビニール本)に出ているとメールを送り、たちまちビヌール・ドモハ水沼と命名されてしまったのだった。
「そうだぞ水沼。初恋の夏沢みどりちゃんだって、もう花も恥じらう乙女じゃないんだぞ。おじさんの俺たちと同じ歳だからおばさんじゃないか。昔のままのみどりちゃんに会えるなら興奮するのも分かるけど、おばさんに会うんだからね。いまからテンション上げてたんじゃ、会った時に百年の恋もいっぺんに冷めちゃうよ」
 小澤はニヤニヤ笑ったままいう。
「違うんだよ、そんなんじゃないんだよ。人間って死ぬんだなあって思って、それでため息が出てしまったんだよ」
 水沼はごまかし笑いをする。
「そんなのは当たり前のことじゃないか。生き物は人間だろうが犬だろうがネコだろうが何だろうが、いつかは必ず死ぬことになっている」
「そうなんだけどな、清涼飲料水の初恋キャンペーンで初恋のことを思い出すまでは、死ぬっていうのは切実じゃなかったんだよ。夏沢みどりにはもう死ぬまで会えないんだなあって思ったら、そうか、人間は本当に死ぬんだなあって、切実に考えてしまったんだ。それをまた思い出して、そういえば同級生で死んだやつも結構いるなって思っていたんだよ」
「そりゃあこの歳になれば、死ぬやつがいても不思議じゃないよな。電柱に激突したマンジー川野だろ。野球部のマイネージャー織田は江ノ島で泳いでいて心臓麻痺で死んだよな」
 マンジーは名前の万治をもじったあだ名だ。
「マイネージャーじゃなくてマネージャーでしょう。イが余計だよ」
 小澤がすかさずいいあやまりを正す。
「あいつはマイネージャーっていうの。織田は津軽出身で、わがね(だめだ)っていう意味の津軽弁のマイネを口癖のようにへる(いう)のと、野球部のマネージャーをしていたので、ふたつをくっつけてマイネージャーって呼ばれていたんだよ。あとは文芸部の佐久間。これはガンだよな。グリークラブの向井は脳卒中。えーと、あと誰だっけ」
 と山田は小澤を向く。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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