第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)6
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
その時、武田先陣左翼は、ほぼ全滅の状態だった。
そして、足軽大将、山本菅助も討死した。
そうした一連の異変を、先陣右翼の室住虎光も感じていた。
しかし、詳細を把握する前に、越後勢の騎馬隊が龍蜷車懸(りょうげんくるまがかり)の戦法で襲いかかってくる。
虎光はその攻撃に対抗しようとする。
「退くな、者ども! 敵は左から来るぞ! 迎え撃て!」
嗄(しやが)れた声を張り上げ、老将が檄(げき)を飛ばす。
だが、先頭を走る黒母衣の騎馬隊は、右翼の前方にいた弓隊を標的として動く。
柿崎隊の痛烈な初撃とそれに続く車懸の攻撃により、まず右翼の弓隊が潰滅した。
敵の動きを止めようとするが、越後勢の勢いが遥かに勝っている。
─―いかぬ! 無理に防ごうとすればするほど、傷口が広がってしまう。ここは大きく退いて典厩殿と合流して戦うか?……それとも、全滅覚悟でここに留まり、奇襲隊が戻る時を稼ぐべきか?
室住虎光も菅助と同じく難しい判断を迫られていた。
しかも、逡巡している暇はない。それほど敵の攻撃は素早く、熾烈を極めていた。
その時、耳を疑う叫び声が聞こえてくる。
「御注進!……山本道鬼斎殿、無念の討死にござりまする!」
先陣左翼の生き残りとなった伝令が血を吐くように叫んでいた。
どうやら、深手を負っているようで、土と涙と血が混ざり、顔が赤黒い斑(まだら)に染まっている。
─―菅助が討死!?……ま、まさか。まだ敵が現れてから間もないというのに……。
虎光は驚きで眼を見開く。
「……それは、まことか?」
老将は呆然(ぼうぜん)とした面持ちで訊く。
「まことにござりまする。道鬼斎殿は自ら先頭で打って出まして、果敢に戦われましたが、ご奮闘空(むな)しく……。ご奮闘空しく、討死なされました。……む、無念にござりまする!」
伝令が朱の涙を滴らせながら声を振り絞る。
「なんということか……」
虎光は思わず天を仰ぐ。
蒼天から降り注ぐ光が瞳に刺さり、耐え難い痛みが走る。
老将は口唇を嚙みしめ、己の頬を何度も両手で叩く。
それから、眦(まなじり)を決した。
「相わかった。そなたも手傷を負って苦しいであろうが、介添えを付けるゆえ、このことを典厩殿と御屋形様へ伝えてくれぬか」
虎光は毅然(きぜん)とした声で伝令に言い渡す。
「……承知いたしました」
「おい、この者を馬に乗せて運んでやれ」
老将は脇で話を聞いていた使番に命ずる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。