「心の臓が痛いとは……」 「最後は綿々と愚痴などこぼされ、すぐにでも隠居したい、と」 「まことか!?」 「常陸殿が隠居となれば、家宰の座を巡り、またぞろ家中がざわつくのではありませぬか」 「確かに、その心配はある。虎昌、今の話は他言無用だ」 「わかっておりまする。それと、駿河守殿。以前にお訊ねした事柄の答えが、何となくわかってきました」 「何のことであったか?」 「なにゆえ、御屋形様が若君様につれない物言いをなさるのか、とお訊きしたことがあったではありませぬか」 「ああ、若の御婚儀の前か……」 「家中の風聞に耳をそば立てておりましたら、少し事情が呑み込めてまいりました。まったく、口さがない連中が多すぎ、若君様の気骨をあまりに軽く見過ぎておりまする。それがしから見ても、若君様は剛直で骨硬き良い漢(おとこ)にござりまする」 「……わかっておるではないか」 「駿河守殿の如き愚直な硬骨漢ばかりを見て育ちましたゆえ」 「こ奴、あからさまな世辞を言いよってからに」 信方は思わず苦笑する。 「少し前に、備前(びぜん)殿と呑んだ時も同じことを申されておりました。重臣の方々の多くが若君様を見誤っておられると。やはり、骨硬き漢にはわかるのでありましょう」 虎昌は次郎の傅役(もりやく)となっている甘利(あまり)虎泰(とらやす)の言を持ち出す。 「甘利が!?」 「備前殿も『最近は駿河守殿が一緒に呑んでもくれぬ』と寂しがっておられましたぞ。たまには、また三人で酒でも酌み交わしませぬか」 意味ありげな笑みを浮かべ、虎昌がそう言った。 ――こ奴、若と次郎様のことで、それがしと甘利が疎遠になっていることを知り、仲を取り持とうとしているのか!? 信方はまじまじと後輩の横顔を見つめる。 「……三人で呑む件については考えておく。それゆえ、さっさと手柄を上げて佐久から戻ってまいれ」 「承知! 危うくなりましたら、援軍をお願いいたしまする。では、行ってまいりまする」 「おう。無事でな」 信方は気合を入れるように飯富虎昌の背中を叩き、門から送り出した。