第三章 出師挫折(すいしざせつ)23
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
――この者も余と同じように戸惑うておるのだろう。かように振る舞えと急拵(きゅうごしら)えで躾(しつ)けられたに違いない。
そう考えるのと同時に、まったく別のことを思っていた。
――なんと細く、美しい指だ……。
盃(さかずき)を持ち上げながら、晴信は麻亜の両手に見惚(みと)れてしまう。
その視線を気にしてか、麻亜の震えが少し大きくなる。瓶子の注ぎ口が盃に当たり、小刻みに音を立てた。
――この者でも、かようなことで緊張するのか!?
晴信は驚きながら相手の顔を見る。
すると、麻亜の頬が微かに上気し、桃色に染まっていた。
最初に目通りした時の透き通るような気配ではなく、ただ異様な緊張に縛られた娘がそこにいる。
――雪原に舞い降りた純白の鵠(くぐい)の如(ごと)く見えても、近づいてみれば、やはり生身の人であることに変わりはないか……。
晴信はなぜか安堵(あんど)に似た感情を覚えていた。
麻亜も人の子であるという当たり前の事実に好意さえ感じてしまう。
――されど、紫水晶の如く透き通った瞳の美しさは変わらぬ。凜(りん)とした気配も……。
そう思いながら、助け船を出す。
「……さように気を使わぬでもよい。……われらは漢(おとこ)同士で呑むことが多いゆえ、手酌に慣れているから、そなたは膳の前に戻って箸を付けるがよい」
瓶子を受け取り、晴信は自ら盃に酒を注(つ)ぐ。
「……申し訳ござりませぬ」
麻亜は膳の前に戻り、恐縮した。
「気に病むな」
そう言いながら、一気に盃を干す。
それきり会話が途絶えてしまった。
再び重い沈黙が室内を支配し、晴信は間が持たずに酒ばかり吞んでしまう。
一方、麻亜は長い睫毛(まつげ)を伏せたまま畏(かしこ)まり、箸を持とうともしなかった。
――いかぬ、こんなに酒ばかり呷(あお)っていたのでは、すぐに酔うてしまう。されど、何から話せばよいのやら……。
思案がまとまらないから、手酌で酒を注ぐ。手持ち無沙汰で、それをすぐに呷ってしまう。
悪い繰り返しだった。
そんな時は酔いが回るのも早い。
どんどん顔が紅潮してゆく様が己でも感じ取れるほどだった。
─いかぬ。このままでは、勝手に酔いつぶれてしまう……。
さすがに、そんな醜態を晒(さら)すわけにはいかなかった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。