よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)23

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「ところで、雪斎殿。河東で戦を構えていると聞きましたが、それにしてはこの辺りが妙に静かではありませぬか」
「さよう。戦を構えたと申しても、まだ序の口に過ぎませぬ。ここから四里半(約十八`)ほど南へ行ったところに吉原(よしはら)城があり、そこに北条早雲殿の四男、北条長綱(ちょうこう)という者が入っておりまする。われらはその城を睨(にら)みつつ、富士川の西岸に兵を進め、陣を構えました。されど、戦いはまだ始めておらず、この合戦には裏がありまする」
「裏?」
「はい。その辺りのことは、わが主よりこれから武田大膳大夫殿へ直にお伝えすることになりましょう」
「なるほど、それがこたびの会談の核心であると」
「さすがは、駿河守殿。お察しが早い。さように解していただければ、幸いにござりまする」
 太原雪斎は微かな笑みを浮かべる。
「今川治部大輔(じぶのたゆう)殿のお話、心して拝聴いたしまする」
 信方も笑顔で頷いた。
 晴信もそれとなく前を行く二人の会話に耳をそばだてていた。
 ――おそらく、二人の会話は、わざとこの身に聞かせるためのものなのであろう。
 そんなことを思っているうちに、大坊(だいぼう)を抜けて客殿へ通される。
 広間へ入ると、晴信の向かって左手側に今川家の家臣が並び、その一番奥にひときわ美装の今川義元が座っていた。
「さぁさ、武田大膳大夫殿。奥へお進みになられまして、御屋形様の御向かいへお座りくださりませ」
 太原雪斎が右手側の席を示す。
「……されど、あの席は上座なのでは?」
 晴信が戸惑いの色を浮かべながら訊く。
 通常、こうした大広間では入口から向かって右手側が上座、左手側が下座となる。
 もちろん、位の高い者が一人の場合は、正面の大上座につくのが通例だった。
「ご遠慮なさらずに、どうぞ。御客様はあちらの席にと、御屋形様から申し付かっておりますゆえ。さあ、ご家臣の方々も、そちらにご着席くだされ」
 満面の笑みで、太原雪斎が信方たち家臣を上座側の席へ導く。
 もしも、こうした会談で両者の家格がほぼ同等だったとしても、歳が二つ上の今川義元が上座につくのが習わしである。
 しかし、今川家が晴信と武田の家臣に上座を譲ったということは、賓客として最大限の扱いをし、相当の敬意を払っているという証だった。
 少し気後れを感じながら、晴信は席に座った。
「お初にお目にかかりまする。武田晴信にござりまする。今川治部大輔殿には、ずっとお会いしたいと思うておりました。本日は、お招きいただき、しかも、かように過分な席までご用意いただき、まことに恐悦の極みにござりまする」
 先に両拳をつき、晴信が武者礼を取る。
「こちらこそ、お目にかかれて嬉しゅうござる、武田大膳大夫殿。ささ、面を上げてくだされ」
 今川義元は柔和な笑みを浮かべ、軽やかな声で言う。
「本日は堅苦しい儀礼など廃し、ゆるりとやりませぬか。官名で呼び合うことなど止(や)め、晴信殿とお呼びしたいのだが、いかがであろうか」
「はぁ、当方は構いませぬが」
「さようか。では、余のことは義元とお呼びくだされ」
「……ああ、わかりました」
 晴信は義元の気さくな態度に戸惑いを感じる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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