第三章 出師挫折(すいしざせつ)23
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
二十七
これまで今川家と北条家の間で火種となってきた河東の地で、再び戦が始まったのは天文(てんぶん)十四年(一五四五)七月二十四日のことだった。
ここは両家の因縁深い場所だったが、今川家が出陣の際に武田家へ援軍の申し入れをしてきたのは初めてである。
しかも今川義元が晴信と直接会いたいと願ってきた。
これを受け、新府で緊急の軍(いくさ)評定が開かれる。
「河東への援軍要請は、先の塩尻(しおじり)出兵の見返りとして当然だとは思うが、義元殿との面会にはどのような含みがあると思うか?」
晴信の問いに、一同は思案を巡らせた。
その中で、すっと挙手した者がいる。
「昌頼(まさより)、申してみよ」
晴信は駒井(こまい)昌頼に命じた。
「有り難き仕合わせにござりまする。河東の地は元々、今川氏親(うじちか)殿が北条家の祖である伊勢(いせ)早雲庵宗瑞(そううんあんそうずい)殿に褒美として与えた所領にござりました。されど、両家の盟約が途切れてからは、今川家が北条家に返還を求めており、北条氏康(うじやす)がそれに応じなかったために両家の紛争の場となりました。されど今、北条家の眼は武蔵(むさし)に向いておりまする。上杉(うえすぎ)家から奪取した江戸城と河越(かわごえ)城を死守することに腐心しているのではないかと。ならば素直に河東を返還し、坂東での戦に専念せよと、義元殿が重圧をかけるつもりと存じまする」
「なるほど」
「加えて、義元殿は北条氏康が当家に休戦を申し入れてきたことをご存じなので、『今川家が動けば盟友の武田家も動くぞ』とはっきり示したいのではありませぬか」
駒井昌頼は明晰(めいせき)な見解を述べる。
「そのために、河東で北条を挟撃するということか」
晴信が頷く。
「されど、義元殿が御屋形様にお会いしたいというのであれば、もう一段深い目論見があるのやもしれませぬ。その辺りのことを、事前に今川家の重臣へ打診してみるのは、いかがにござりましょうや」
「昌頼、そなたにできるか?」
「面識のあります高井(たかい)実広(さねひろ)殿と面会してみるのがよいかと」
昌頼の具申を受け、晴信が確認する。
「板垣(いたがき)、加賀守(かがのかみ)、どうであろうか?」
「よろしいと存じまするが」
信方が答え、原(はら)昌俊(まさとし)も同意する。
「昌頼、念のために山本(やまもと)菅助(かんすけ)を連れてゆくとよい。さすれば、雪斎(せっさい)殿とも内々に接触できるのではないか」
晴信の言葉に、駒井昌頼が頭を下げる。
「承知いたしました」
「では、まずは今川家の重臣と折衝した後に河東への出陣を決める。各々、抜かりなく支度をしておくように」
晴信は引き締まった面持ちで家臣に言い渡した。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。