よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)20

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 それに怯(ひる)んだ敵に、真田幸綱の足軽隊が横槍を入れる。この策が功を奏し、加藤信邦の一隊が敵の足軽を完全に南大門の外へ押し出した。
「そのまま突き進め! 敵は怯んでいる!」
 加藤信邦も自ら南大門をくぐり抜けていく。 
 ここでの攻防は武田勢が押し切った。
 真田幸綱と加藤信邦の隊が合流し、さらに敵を押しやり、後方にいる晴信本隊のために退路を開く。 
「兄上、殿軍(しんがり)はお任せくだされ! 早く外へ!」
 西門を封じた信繁が駆けつける。 
「信繁、殿軍はいらぬ! 一気に押し出るぞ!」 
 晴信が采配を振った。
 武田勢の本隊が南大門の外をめがけて動き出す。
 真田幸綱と加藤信邦の隊が作った退路を使い、僧寺の外へ出た晴信の耳に新たな鬨の声が聞こえてくる。だが、それは己がまったく予想していなかった東側からだった。
 ――なにっ! 敵に廻りこまれたのか!?
 晴信は神川がある東側を凝視する。
 そこには村上の旗幟(きし)を掲げる騎馬の軍勢が待ち受けていた。
 晴信の本隊が姿を見せた途端、その敵兵が雄叫びを上げて攻め寄せる。
「東から敵襲だ! 打ち破るぞ!」
 総軍が東を向く。
 しかし、敵が待ち受けていたのは、東側だけではなかった。西側にも同等の騎馬隊がおり、それが一気に動いてくる。
 武田勢の動きを完全に読んでいたような挟撃だった。
 西側から押し寄せる敵の騎馬隊には、真田幸綱と加藤信邦の隊が向かい、くしくも殿軍の形になる。晴信の本隊は東側の敵騎馬隊を打ち破り、活路を開かなければならない。
「われに続け!」
 鬼面になった信繁がいち早く飛び出す。先陣の騎馬五百がそれに続く。
「われらも行くぞ!」
 晴信が旗本衆に命じる。
「御屋形様をお守りしながら活路を開け!」
 教来石景政が轡(くつわ)を並べながら叫ぶ。
 そこからは国分寺の外が混沌(こんとん)とした戦場(いくさば)と化す。
 総大将の気勢に呼応し、武田の騎馬武者たちは一斉に敵の中へ突き入る。しかし、村上の騎馬隊は一歩も引かず、果敢に応戦してきた。
 武田の先陣を打ち破り、明確に優勢を意識している村上勢の士気は高く、乱戦の中で強引に前進してくる。その力攻めを受け止め、武田の旗本衆は奮闘していた。
 晴信も自ら槍を手に眼前の敵兵を討ち取っていく。
 ところがその時、信じ難いことが起こる。
 西側で戦っていた真田幸綱と加藤信邦の隊が突き破られ、後方から数十騎の敵が迫ってきた。
 ひときわ美装の晴信を見つけ、敵将の屋代(やしろ)基綱(もとつな)が叫ぶ。
「いたぞ! あ奴の首を奪(と)れ!」
 その声に、晴信が振り返った時はすでに遅かった。
 屋代基綱の放った槍先が、兜(かぶと)の左側の吹返(ふきかえし)を掠(かす)める。咄嗟に軆(からだ)を捻(ひね)ったため、かろうじて首筋を外れていた。 
 しかし、その攻撃で体勢を崩した晴信に、別の騎馬武者が突きかかる。その一撃が手綱を摑(つか)む左腕を襲い、激痛が走った。
 危うく落馬しそうになりながらも、晴信は何とか持ち堪(こた)え、相手の喉へ一撃を見舞う。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number