よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)20

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

    四十二 

 久方ぶりに府中の躑躅ヶ崎(つつじがさき)館で過ごしていた晴信が、弟の屋敷を訪ねた。 
「信繁、遠駆けに付き合うてくれぬか」
「兄上、傷のお加減は?」
「吊(つ)り布も取れた。大丈夫だ」
 晴信は左腕を回して見せる。
「されど、遠駆けとは、どちらへ?」
「まあ、黙ってついてまいれ」
 晴信は愛駒のところへ向かう。
 ――兄上はいったい、どこに向かわれるおつもりなのか?
 信繁は小首を傾げながらついていく。
 晴信は愛駒に跨(また)がると屋敷の北に向かって駆け出す。
 そのまま要害山(ようがいやま)の頂きを目指し、その背を信繁が追った。
 去る三月二十六日、諏訪上社で遷霊祭を終えた晴信は、甲斐の府中へ帰還した。
 帰幽した者たちの霊璽(れいじ)を残された身内に渡し、それぞれが弔いの時を過ごせるようにした。
 晴信も失った家臣たちの往生を願いながら、負傷の療養を行った。
 そして、暦が四月の朔日(ついたち)を迎えたこの日、やっと左腕の吊り布が取れたため、弟を誘って要害山へ遠駆けした。
 下馬した二人は、要害山城の櫓(やぐら)へ登り、府中の全体を眺める。
 玄冬特有の北颪(きたおろし)はすでに吹き止み、大気が緩み始めていた。 
「実はな、余の初陣が終わった後、板垣がここに連れてきてくれたのだ」
 晴信が独言のように呟く。
 その横顔を、信繁は黙って見つめる。兄が何か大事なことを吐露しようとしていることを瞬時に悟ったからだ。
「余は海ノ口(うんのくち)城を攻め落としたが、御父上はまったく誉めてくださらなかった。それどころか、差し出がましい真似をしおってと、ひどく叱られた。それにへこたれた余を、板垣がここに誘(いざな)い、その後で褒美をくれたのだ。こたびは余がそなたに救われたゆえ、これから褒美を与えたい」
「褒美にござりまするか」
「さよう。さて、積翠寺(せきすいじ)まで下りようか」
 要害山城を出る晴信に、信繁は黙って従った。
 積翠寺の門前に駒を繋(つな)いでから、晴信は門内へ入り、両手に手桶を下げて戻ってきた。
「寺から拝借だ」
 そこから四町歩(約四百b)ほど離れたところへ行くと、濛々(もうもう)と白い湯気が上がっている。
 涌湯だった。
「入ろう。これがそなたへの褒美だ」
 晴信はさっさと素襖(すおう)を脱ぎ、犢鼻褌(たふさぎ)を外す。
 信繁も戸惑いながらも同じように着衣を脱ぐ。丸裸になってから、恐る恐る湯に爪先を入れる。
「熱い!」
 あまりの熱さに飛び退(すさ)る。
「ふふ、余も同じことをし、板垣に涌湯の入り方がわかっておらぬと言われた。まずは、軆を冷やすために、しばらくこのままで待つ。震えがくるほどになったならば、これで湯を打てばよい」
 晴信は腰に両手を当て、仁王立ちになる。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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