よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第十二回

川上健一Kenichi Kawakami

 誰もが訝(いぶか)しげな表情で一斉に水沼に視線を向けた。数秒間、水沼の言葉の意味を探ろうとして考え込んでいる。やがて小澤が口を開いた。
「お前は夢見る夢子ちゃんかよ? おっさんが昔のテレビドラマの青春物語みたいなことしても似合わないよ。笑えるじゃないか」
 と顔を歪(ゆが)めて笑った。それを合図に我に返った三人の女たちは顔を見合わせて失笑した。一台の大きな黒いワゴン車が駐車場に入ってきた。すぐにその後ろから灰色の軽自動車が続いて入ってきた。ワゴン車がトイレに近い場所に停まった。軽自動車は水沼たちの側までやってきてハンドルを切り、ベンチの近くに停車した。
「ふんとだてばよ。歳っこば考えろって。なんにエフリこいでホジねごどへってらど。ハンカクセもんだ。ホニホニホニ」
 と山田が鼻で笑って首を振る。
「え? 何? 何ていったのオ? 今のフランス語オ?」
 ジーンズの女がポカンとしたまま眉根を寄せた。
「今のは青森の南部弁の中の十和田語。標準語に訳すと、『その通りだ。格好つけてバカいってんじゃないよ。愚かなもんだ。しょうがないなまったく』という感じかな」
 と小澤が説明してやる。
「ああびっくりしたア。フランス語かと思って驚いたア」
 ジーンズ女の表情がやんわりと崩れていった。
「フランスとは一万キロも離れてるけど、確かに耳障りがフランス語みたいな感じで聞こえるわよね」
 ニット帽の女が物知り顔にさらりといい、その横で目をヘの字に細めてにこやかに笑っている彼女はうなずいて、
「本当にそう。イントネーションがフランス語みたいな感じですね。きっとフランス語も堪能なんでしょうね」
 と笑顔を山田に向けた。牙を剥(む)いているヒグマも気勢を削がれて思わず和みそうな柔らかな笑顔だ。太陽が顔を出して彼女の笑顔を輝かせた。白い雲と灰色の雲がランデブーよろしく一緒になって太陽と反対方向にスキップしていく。
「いやあ、ボンジュースとサバ缶をビアン! と開けるぐらいなら何とか」
 山田は彼女の笑顔をまぶしそうに見て柄にもなく照れ笑いをして頭をかいた。
「ボンジュールとサバビアンだけしか言えないってこと」
 とすぐに小澤が混ぜっ返した。
「でもさあア、フランス人と今の南部弁でしゃべったら通じるんじゃないイ? だって本当にフランス語かと思ったものオ」
 とジーンズ女は山田を見て笑う。
「さあ、そろそろ行かなくちゃ」
 ニット帽の女が気分を変えるような口調で促すと、ジーンズ女とへの字目笑顔の彼女がうなずいた。それからジーンズ女はひょいと手を挙げて、ニット帽の女がこっくりと顎を動かし、への字目笑顔の彼女は最大限に目を細めて笑顔を作り、それぞれが、
「じゃあねエ」
「さよなら」
「失礼します」
 と三人の男たちに短い別れの言葉を投げかけて白い乗用車に向かって歩き去った。小さな影が彼女たちの後ろ姿を追いかけていく。彼女たちは彼女たちの目的地へと行かなくてはならないのだ。少し歩いて行ってから、への字目笑顔の彼女が振り向き、やはり笑ったまま小さく会釈をした。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

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