よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 この日の東京は二月にもかかわらず、上着がいらない春のような穏やかな天気だった。私は東北新幹線に乗って青森県の大湊(おおみなと)へ向かうため上野駅にいた。
 東京に数ある駅の中でもここ上野駅は、独特な空気を持った駅だなと思う。何が独特なのかというと、人工物の塊ともいえる駅において、上野駅からは人間くささや土くささといったものを強く感じるからだ。そうしたにおいというのは、ここ上野駅がかつて東北地方への玄関口であったことと無縁ではあるまい。
 高度経済成長期には日本経済を下支えし、金の卵ともてはやされた、東北出身の若者たち。彼らが初めて東京の土を踏んだのが上野駅だった。さらに遡れば、石川啄木の有名な詩がある。

  ふるさとの 訛なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく

 岩手県出身の石川啄木は、人ごみに身を置いて故郷の訛りに耳を傾けた。上野駅の中央改札口のあたりを歩いていると、よく見かけるのは外国人の姿である。この日、耳に飛び込んできたのは、中国語とブルカを被った東南アジアのムスリムの女性が話していたマレーシア語だった。
 国際的な場所へと様変わりし、東北弁は今やどこからも聞こえてこない。それでも他の駅とは違うにおいを感じてしまうのは、個人的な経験が大きく影響している。
 今から二十年以上前、まだ二十代前半だった私は、写真家本橋成一さんの『上野駅の幕間』という写真集を手に取った。そこに写されていたのは、上野駅のホームで立ち小便をする男の姿であったり、酔い潰れて寝る男であったり、出稼ぎを終えて帰省列車を待つ間に駅の一角で酒盛りをする人々の姿であった。私はその写真集を見て、居ても立っても居られなくなり、カメラを片手に上野駅に足を運んだのだった。
 今から思えば、昭和から平成に時代は変わっていたが、東北新幹線は東京まで開通しておらず、上野駅は往年の姿を残していた。洒落たテナントなど入っていなかったその時代、駅の中は今より薄暗く、はっきりとした場所は思い出せないが、靴磨きを生業(なりわい)とする女性たちの姿があった。
「写真なんか撮っちゃ駄目だよ」
 カメラを向けようとした私に、エプロンをした初老の女性はきっぱりと拒絶したのだった。その言葉にはかすかな東北の訛りがあり、女性の肌も雪のように白かったことをはっきりと記憶している。
 果たして、その女性がどのような経緯で靴磨きをするようになったのか、取材の手法もなかった私は知る術もなく、すごすごとその場から立ち去った。
 ほんの数秒のやり取りではあったが、私は東京の他の場所では感じることがなかった上野駅の独特な空気を感じたのだった。今、振り返れば、それは近代日本が生み出した上野駅の土俗性だったのだろう。
 今では靴磨きをする女性などは、この駅のどこにもいない。上野駅を歩くたびに、そんな淡い経験が頭をよぎる。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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