第二章 大湊
八木澤高明Takaaki Yagisawa
大湊へ
六ヶ所村から原発のある東通村(ひがしどおりむら)を過ぎ、北浜街道を走り続けた。対向車線を走る車とはほとんどすれ違うことなく、大湊に着いた。
車窓の右手には、霊場恐山(おそれざん)へと連なるなだらかな山容の釜臥山(かまふせやま)が見える。大湊は明治時代に旧日本海軍の基地ができたことから、軍都として栄えてきた歴史がある。道路沿いには、これまで走ってきた北浜街道沿いの荒涼たる風景と打って変わって、スーパーやファストフード店などが軒を連ね、景色は一気に人臭くなった。
まず向かったのは、かつて大湊に存在した小松野遊廓の跡だった。街の中を走りはじめると、にわかに雪がフロントガラスにひっきりなしに吹きつけてくる。
視界が一気に狭まるなか、小松野遊廓の跡地に着いた。車を降りると、陸奥湾の方角から吹き上げてくる風と雪で、思わず「寒いなぁ」と呟(つぶや)いてしまった。
この場所に小松野遊廓ができるきっかけとなったのは、津軽海峡をはじめ北辺を警護する基地として一九〇二(明治三十五)年に旧日本海軍の大湊水雷団が開庁したことにあった。
それから三年後の一九〇五(明治三十八)年には、小松野遊廓が正式に許可されたのだった。
明治時代に産声をあげた小松野遊廓は、売春防止法が完全施行された昭和三十三年まで続くのだが、そこまで長く営業できたのは、当然ながら海軍の存在があった。横須賀や呉、舞鶴など日本海軍の歴史とともにできた色街と同じように色街としての歴史を刻んだのだった。
小松野遊廓は、戦前に記された「日本遊廓案内」によれば、十軒の貸座敷と三十人の娼妓がいたという。
現在の大湊新町という地名が小松野遊廓のあった場所である。一本の坂に沿って遊廓は形成されていた。
- プロフィール
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八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。