よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)24

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「正直に申せば、われらは北条憎しで、こたびの出陣を決めたわけではない。曲がりなりにも北条家はかつての盟友であり、余も氏康殿には近しい感情を抱いている。されど、北条家は少しばかり、やり過ぎてしまった。坂東の方々は激怒しており、それがこたびの大軍と化したことは間違いない。周囲をすべて敵に廻(まわ)したのでは、生き残る術(すべ)がなくなってしまうのは必定。こたびのことで、氏康殿が己の身の丈を鑑み、伊豆(いず)と相模(さがみ)で納まってくれればよいのだが……。余としては、これ以上、氏康殿を追い込むつもりはありませぬ。少なくとも、これまでの考えを改め、われらと武田家に頭(こうべ)を垂れるならば、河東から兵を退いてもよい。武蔵の城をすべて失うても、北条家は伊豆と相模に留まることができるはず。しばし、身を縮めてから捲土重来(けんどちょうらい)を期せばよい。そのことがわからぬほど、氏康殿が愚かだとは思うておりませぬ」
「つまり、河東への出陣は単なる陽動でも、領地の奪還でもなく、早くわれらと和をなせという義元殿から氏康殿への投げかけだということにござりまするか?」
「まったく、その通り。さすがは、晴信殿。わが真意を解してくれて嬉しい。当家は東よりも西の遠江(とおとうみ)、三河(みかわ)に眼が向いており、武田家は南の相模よりも北の信濃(しなの)に眼が向いている。北条家がわれらと和をなし、三家が背中を預け合った上で、それでも東を向きたいのならば、何ら異議は唱えぬ。せめて、そのぐらいのことを計った上で動かねば、北条家が坂東へ出て行く野望など叶(かな)いますまい。されど、そのことに気づくのが、少し遅かった。どうあれ、氏康殿はわれらに頭を垂れ、坂東の方々と和睦する以外、すでに生き残る術がなくなった。万が一、全滅を覚悟で戦ったところで、おそらく何も残らぬ」
 最後は突き放すような言い方だった。
 晴信は脳裡(のうり)で地図を思い浮かべながら、義元が描いている戦模様を理解した。
 ――義元殿の筋読みでいけば、早晩、北条家は絶体絶命の窮地に陥ることになるだろう。されど、北条家が滅んでもいいと、この方は思うておらぬ。むしろ、こたびのことを通して北条氏康の惣領(そうりょう)としての器量を計っているような節が見受けられる。ならば、この身を呼び込んだ意図は、どこにあるのだろう?
 脳裡で目まぐるしく思案が巡る。
 ――もしも、この身が義元殿ならば、いかように考えるか?……少なくとも今川家にとっては、北条家が滅びるよりも、坂東との緩衝になるよう相模と伊豆で生き残ってくれた方がよいのかもしれぬ。そして、北条家が生き残るためには、氏康殿が今川家とわれらが河東へ出張る意味をいち早く理解し、和談を開始するしかない。その際には、これまで因縁が積み重なった今川家よりも、当家に仲介を頼む方が、氏康殿にとってはまだ気が楽かもしれぬ。つまり、義元殿は、それを望んでいるということか?
 急に黙りこくって思案を始めた晴信を、両家の家臣たちが固唾(かたず)を吞んで見守っていた。
 ――ここは真っ直ぐに疑問をぶつけてみるしかあるまい……。
 そう考え、晴信は素直に義元へ問う。
「義元殿、これまでの経緯を考えると、北条氏康殿というのは相当に頑固な方なのではありませぬか?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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