よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)24

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「そうかもしれぬ」
「ならば、われらが協調して河東へ出張ったとしても、果たして素直に和を申し入れてくるでありましょうか?」
「確かに。氏康殿は誰よりも気高く、己の矜恃(きょうじ)にこだわる御仁だ。しかも、われらの中では最も歳上。氏康殿は余よりも四つ歳上、確か晴信殿よりも六つ上だと思うたが」
「さようにござる」
「ならば、歳が近すぎる余よりも、案外、晴信殿への方が弱味を見せやすいのかもしれぬ。それに和睦の話ならば、因縁の深い相手よりも、日頃から穏やかに誼(よしみ)を通じている方に然(しか)るべき仲介を頼んだ方がよい。優れた仲介役に立ってもらえば、話も進みやすかろう。そうは思いませぬか、晴信殿」
 義元の言を聞き、晴信は確信する。
 ――やはり、そうか。われらが河東へ出張れば、北条へ重圧をかけるのと同時に、和睦の仲介役として使えるということなのであろう。当家が今川家とは別に北条と休戦していることを知った上で、義元殿はこの話を持ちかけているはず。実に深い読みだ。
 晴信は今川義元が政(まつりごと)の駆け引きと戦の筋立てを搦(から)めて考えていることに感心した。
 なんとも老成した考え方と手腕であるように思えたからだ。
「義元殿、お話はよくわかりました。して、われらはいつ河東へ出張ればよいのでありましょうや?」
「さほど急がぬでも、よろしかろうと存ずる。まずは、この会談の件を関東管領殿へ伝え、先方の意向を確かめまする。その上で確かな日時をお伝えしたいと思うが、おそらく月が変わってからお願いすることになるのではあるまいか」
「承知いたしました。その間、支度を万全にしておきまする」
「重ね重ね、よろしくお願い申し上げまする」
 義元は笑顔で頭を下げた。
「御屋形(おやかた)様、それがしから一つ申し上げておきたいことが」
 太原(たいげん)雪斎(せっさい)が申し出る。
「何であるか、雪斎」
「はい、次に武田家の方々が出陣なさる時には、是非、この大石寺(たいせきじ)を陣として使っていただきとうござりまする。ここの第十三世法主である日院(にちいん)とは話をつけてありますゆえ」
 雪斎の言葉に、信方(のぶかた)が謝意を述べる。
「それは有り難し。ここならば右左口路(うばぐちじ)の途上にあり、本栖(もとす)城との連携も取りやすいので、助かりまする」
「河東の詳しい地図は、後ほど駿河守(するがのかみ)殿にお渡しいたしまする」
「かたじけなし」
 信方が頭を下げた。
「さて、雪斎。話は他にもあるか?」
 義元が訊く。
「いいえ、ござりませぬ」
「では、無粋な戦の話はこれぐらいにして、前祝いの宴としよう。膳を運ばせよ」
 満面の笑みで、義元が命じた。
 これを合図に、広間に酒肴(さけさかな)が山ほど運び込まれ、そのまま宴会となった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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