よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 晴信は「時宜に依って其の覚悟すべきものなり」という一文で、自らがこの分国法を遵守すると誓っている。そうすることにより、領主であろうとも例外はなく、何人たりとも法度に従わなければならないということを明示していた。
 すなわち、「己が率先して模範を示すことで、家臣や民も納得して法度を遵守するようになるだろう」という熟慮を込め、最後の第五十五条が認められている。
「御覚悟、とくと、お伺いいたしました」
 駒井昌頼が深々と頭を下げる。
 これが天文(てんぶん)十六年(一五四七)五月晦日(みそか)のことだった。
 そして、六月の初めには、この甲州法度次第が公布される。領国の経営と内政を理路整然と行っていくという晴信の決意表明に他ならなかった。
 同じ頃、諏訪(すわ)では信方(のぶかた)が難詰を受けていた。
 相手は三条(さんじょう)の方(かた)の侍女頭(まかたちがしら)、常磐(ときわ)である。
「駿河守(するがのかみ)様、確かに昨年の夏、御屋形(おやかた)様が御側室を迎えるとはお聞きしましたが、十月十日(とつきとおか)も経たずに子を産んだというのは、どういうことでありましょうや?」
 常磐が言ったように、麻亜(まあ)は昨年の暮れも押し詰まった頃、晴信との子を出産しており、その話を聞きつけて諏訪へやって来た。
「……いや、それは」
「わたくしが駿河守様からお話を聞いた時には、すでに懐妊していたということではござりませぬか。もしや、それをご承知の上で、わざとお隠しになったということではありませぬか?」
 鬼気迫る表情で、常磐が詰め寄る。
「か、隠したわけではござらぬ。あくまでも御屋形様の閨房(けいぼう)のことゆえ、それがしもすべてを存じ上げているわけではない。気がつくと、昨年末に、まあ、その……出産ということに相成っていたわけで……」
「では、お聞きいたしますが、誕生したのは男子(おのこ)ということで間違いござりませぬか?」
「ああ、相違ござらぬが」
「男子とならば、太郎(たろう)様の弟君にあたりますゆえ、御家の大事ではありませぬか。なにゆえ、母子が揃って三条の御方様に目通りを願わぬのでありましょうや?」
「……それは、御屋形様の御意向で母子は諏訪へ留(とど)めると」
「それでは筋が通りませぬ。諏訪でのお世話係とはいえ、御台所を預かる正室、三条の御方様に何の挨拶もしなくてよいという理由にはなりませぬ。言語道断、無礼にもほどがありまする! その娘が三条の御方様の面目を潰すつもりならば許しませぬぞ。もしも御屋形様が諏訪に留めおくと仰せになられたとしても、当人に襟を糺(ただ)すつもりがあるならば、側室自らが御挨拶へ参上したいと申し上げるべきではありませぬか。それとも、さような行儀も知らぬほど、躾(しつけ)がなっておらぬ女子(おなご)を迎えられたということにござりまするか?」
 常磐の剣幕に、信方がたじろぐ。
「……それがしに……詰め寄られても」
「とにかく、まずは、その側室の方が御子を連れて三条の御方様へお目通りを願うことが先決ではありませぬか」
「確かに、そうかもしれぬが……。産後の肥立ちということもあり、もう少し落ち着いたならば、母子ともども三条の御方様へお目通りということになるのではないか」
「かような事態になったことを、傅役(もりやく)の駿河守様はお諫(いさ)めなさらぬのでありましょうか?」
「……それは、この身の不徳のいたすところ。弁明のしようもない」
 信方は頭を搔(か)きながら俯(うつむ)く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number