第四章 万死一生(ばんしいっしょう)7
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「太郎様の弟君の誕生ゆえ、先々のこともありましょう。たとえ、諏訪の名跡を嗣(つ)がせるのだとしても、筋目を糺しておいた方がよいかと」
「……そうだな」
「若、三条の御方様に畏れを感じまするか?」
「それはいかなる意味か?」
「それがしも藤乃(ふじの)が怖くてたまりませぬ。何も悪さはしておらぬのに……。そのような意味にござりまする」
「そういうことか。確かに、理由もなく、御方の眼が怖い。童(わらわ)の頃、母上に悪戯(いたずら)を見透かされた時と同じような感じかもしれぬ」
「それは夫婦(めおと)としての絆(きずな)が深いからにござりましょう」
信方がしみじみと呟(つぶや)く。
「若が一門の御惣領(ごそうりょう)として間違ったことをしているわけではないにしても、相手はやはり女人。嫉妬というものもありましょう。御正室としての面目もありまする。筋目を糺し、三条の御方様と麻亜殿を宥和(ゆうわ)させることができるのは、若しかおられませぬ」
「……わかった」
晴信は大きく息をつく。
「四郎(しろう)の首がすわったならば、麻亜も伴って新府へ行こう。そのことを御方と話し合っておく」
麻亜との子は、幼名を四郎と名付けられていた。
「さようにござりまするか。ならば、それがしは常磐殿を宥(なだ)めておきまする」
「頼む……」
「承知いたしました」
信方はさらに一献を酌した。
「板垣(いたがき)、話は変わるが、佐久(さく)の件をいかように考えておる?」
「残るは笠原(かさはら)清繁(きよしげ)の志賀(しが)城だけゆえ、いま跡部(あとべ)に碓氷(うすい)峠付近の様子を探らせておりまする。片付けるならば早い方がよいと思いますので、次の閏(うるう)七月には出兵できるよう支度を調(ととの)えておりまする」
「先鋒(せんぽう)は誰にするつもりか?」
「大井(おおい)貞清(さだきよ)に先鋒を命じ、忠誠心を試してみようかと思うておりまする。それともう一人、気になっている者がおりまする」
「それは誰か?」
「実は先日、禰津(ねづ)殿から当家の傘下に入りたいと望んでいる者がいると相談を持ちかけられました。それが禰津殿と同じく滋野(しげの)の一統であり、小県(ちいさがた)にいた真田(さなだ)幸綱(ゆきつな)(幸隆〈ゆきたか〉)と申す者にござりまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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