よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 その数日後、長野業正は厩橋(うまやばし)衆をまとめている上泉(かみいずみ)秀綱(ひでつな)を箕輪城に招き、家宰(かさい)の藤井(ふじい)友忠(ともただ)を交えて話合いをしていた。
「どうやら、それがしがお断りした佐久への援軍を、金井秀景が引き受けてしまったようだ。あれほど、出兵をお止めいたしたのに」
 長野業正が大きく溜息をつく。
「上様は金井殿を倉賀野十六騎の筆頭に任じたようにござりまする」
 藤井友忠が付け加える。
「それが秀景の狙いか」
 業正は呆(あき)れたように首を振った。
「秀綱殿、そなたは佐久へ出張った武田の動きをいかように見ておる?」
「おそらく、諏訪と佐久を足場として固め、一気に北信濃(きたしなの)まで出ようという算段と見ておりまする。まずは信濃一国の制覇が目標ではないかと」
 上泉秀綱は冷静な口調で答える。
「ならば、上野には眼もくれぬと?」
「いいえ。おそらくは横目で睨(にら)んでいるかと。正確に申すならば、武蔵から上野へ出ようとしている北条家の動きにわれらがどう対処するのかを視野に入れているのではありますまいか」
「なるほど。河東(かとう)での和睦以来、武田と北条が手を結んでいると」
「河越城での北条の逆襲は、武田晴信が仲介した今川(いまがわ)家との和睦を抜きには考えられませぬ。あるいは、武田晴信が北条氏康(うじやす)を試したのやもしれませぬ。万にひとつ、氏康が公方(くぼう)と関東管領の合従軍を跳ね返したならば、盟友と認めればよし。敗北したとしても合従軍の眼は武蔵と相模(さがみ)へ向きますゆえ、武田は佐久で動きやすくなりまする。つまり、どちらに転んでも武田の信濃制覇の妨げにはならぬと読んで和睦を仲介したのではありませぬか」
「そなたは武田晴信をそこまでの傑物と見ているのか!?」
 長野業正が驚いたように訊く。
「昨年の一連の動きを改めて考えますれば、そうとしか読めぬということにござりまする。まあ、少々買いかぶりすぎかもしれませぬが」
「では、志賀城攻めを敢行したからには、上様が援軍を送ることまでを想定していると?」
「それなりの備えはしているはずにござりまする」
「どこかで待ち伏せでもあるか」
「もしも、金井殿が高崎(たかさき)から碓氷峠を越え、志賀城へ向かうつもりならば、武田晴信は焦らずに佐久平まで敵を引きつけるのではありませぬか。峠越えで疲れた兵の脚を下り坂の進軍でさらに消耗させ、平地へ出ようとした刹那に迎え撃つ。さようなことを考えるのではありませぬか」 
「友忠、倉賀野城から佐久までは、どのくらいの距離になる?」
 長野業正が家宰に訊く。
「十八里(七十二`)ほどかと」
 藤井友忠は地図を確かめながら答えた。
「まずいな。秀綱殿の申す通りになれば、倉賀野の軍勢は格好の餌食となってしまう。やはり、これは無理に助太刀などすべき合戦ではない。何もかもが不利ではないか」
 業正が舌打ちする。
「倉賀野党が無駄に兵を失えば、北条氏康の思う壺となりましょう。武田晴信が上様の援軍を待ち受けるつもりならば、当然のことながら氏康へも話が筒抜けになっていると考えるべき。もしかすると、今や、武田と北条の動きは連動しているのやもしれませぬ。しかも、今川が味方ならば、両家に後顧の憂いはありませぬ」
 上泉秀綱が眉をひそめながら言った。
「どうやら、われらも考えを改めるべきだな。もう一度、平井城へ行き、上様に援軍を出さぬよう進言してくるしかなかろう」
 長野業正は厳しい表情で腕組みをする。
 しかし、その翌日、すでに倉賀野城を出立した金井秀景の援軍が高崎を抜け、碓氷峠へ向かっていた。
 閏七月が終わり、暦は八月の初旬に入っていた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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