ひとりで鴨南蛮と揚げ饅頭
深緑野分Nowaki Fukamidori
幸いなことに祖母も本が好きで、パートで働く母の代わりに、よく私を図書館へ連れて行ってくれた。夏休みの暑い盛り、祖母は片手で日傘を持ち、片手で私の手を繋(つな)いで、横断歩道の信号を待ちながら、「みえちゃんはおばあちゃんに似て本の虫≠セからねえ」と言った。私は虫が嫌いだったが、本に住み着く虫だったらいいな、と想像したのをよく覚えている。本に住み着く虫は、文字を食べ、物語の香りを嗅ぎ、本の薄い紙をお布団にして眠るのだ。
大きな絵本が、やがて一回り判型の小さな児童用の単行本に変わり、それがまた小さくなって、大人向けの文庫になる。本棚の数はひとつ、ふたつ、みっつと増え、私のわずかなお小遣いはほとんどが本にまつわるものに消えた。
「小説家になりたい」と考えるようになったのは、ちょうどそのくらいの頃――十四、五歳のことだったと思う。はじめは見様見真似(まね)で、好きな作家の文体に酷似した短い小説を書いた。肝心の内容も薄っぺらく、学校から帰る途中で魔女に出会い、落とし穴から地底世界を探検するが、全部夢というオチだった。今から思えば陳腐すぎるお話だ。でも、当時は書けたことが嬉(うれ)しかったし、小説を書く才能が自分にはあるんじゃないかと思った。
しかし、そう簡単に作家になれるはずもない。
大学に入ってから公募の新人賞に挑戦しはじめたものの、応募しては落選、応募しては落選の繰り返し。それも頻繁に応募できていたわけでもない。文学とエンターテインメントのどちらに進むべきか迷ったし、それ以前になかなか物語が浮かばず、長編を書けるだけの体力もなく、一年に一作書ければ御の字だった。空想の中では自由自在に書けるのに、現実にパソコンを前にすると、思うような文章が書けず、手が止まってばかりだった。
そうこうしているうちに大学を卒業し、東京の小さな商社に入社が決まった。朝から晩まで働いて、陰で「内気」だとか「仕事が遅い」だとか言われながらも、どうにか上司や同僚たちと仕事をする日々は、はっきり言ってしんどい。来客があれば、いまだに女性社員がお茶くみをしなければならないのも、嫌だった。
でも働かなくちゃ。朝起きて、満員電車に揺られて会社に着いたら、朝礼に参加、終わったら古いパソコンの前に座ってひたすら伝票の数値を入力する。お昼になれば、「ご飯はみんなで一緒に食べるもの」と思っている先輩になかば無理矢理外に連れ出され、カフェで味のしないランチプレートを食べる(ここ最近は感染症対策から、空いている会議室のはじっこで、ひとりでお弁当を広げているが)。午後はあれこれのコピーを取り、上司の机に置き、みんなの分のお茶を淹(い)れ、また伝票の数値を入力する。
小説家になる夢がどんどん遠のいていった。書店に立ち寄り本を買う暇さえなかった。休日も布団から出てこない私を、母や祖母が気遣って、何冊か本を見繕って買ってきてくれた。涙が出るほど嬉しかった。
やっぱり、小説家になりたい。
私は仕事まみれの毎日から抜け出すことにした。せめてできる限りの時間、本を読んで過ごそう。私は眠い目を擦(こす)りながら読書に耽(ふけ)り、休日は布団から出て、パソコンに向かって文字を打ちはじめた。今思えば、向いていない仕事だったからこそ、反動で小説が書けたんだろうと思う。生活が変わると、自立心のようなものも芽生え、思い切ってひとり暮らしも始めた。
- プロフィール
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深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。