よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで鴨南蛮と揚げ饅頭

深緑野分Nowaki Fukamidori

 ある時、幼なじみのはるちゃんと、久々にカフェでお茶をした。数少ない、緊張しないで話せる相手を前に、私は「小説を書いているの」と打ち明けた。
 そしてその半年後――今から一年前、自分が書いた短篇小説が文芸新人賞を受賞し、そのパーティが開かれた。はるちゃんは遅くなりながらも、受賞パーティに来てくれ、一緒に喜んでくれた。
 短篇の賞だったので、あと二作、中編小説を書き、やっと一冊目の本が出たのが、今年の初夏のこと。部数は四千部、出版不況のご時世では普通の部数だと聞いた。百万円にも満たない印税でも、振り込まれた時は輝いて見えるほど嬉しかった。
 ……会社はまだ、辞められないけれど。
 そして先ほど、デビュー版元の出版社で、新作の打ち合わせをしてきたというわけだ。

 新作、新作、新作……口の中で唱えながら街を歩く。このあたりはオフィス街でありながらも、書店や漫画専門店、ゲームセンターやメイド喫茶などがモザイク模様のように入り交じる場所で、人も多い。すれ違う人のほとんどがマスクをしていて、誰かが少し咳(せき)をすると、つい視線を向けてしまう。
 店頭から響き渡る客を呼び込む声やアニメソングの喧噪(けんそう)を離れ、書店に立ち寄る。自動ドアは開きっぱなしで、「換気のため」と注意書きが貼ってあった。すぐ目の前に足踏み式の消毒液ポンプがあり、私は二度踏んでシュシュッと両手に噴霧すると、手を擦り合わせながら中へ入った。
 新しい顔ぶれの本たちが並ぶ新刊台から、既刊本が揃(そろ)う奥の棚へ向かう。平台(ひらだい)には以前から読みたかった本が積んであり、私はそれを手に取ってレジへ向かおうとした。
 その時、ふと声が耳に飛び込んで来た。
「三条みえ」
「ああ、読んだよ、それ」
 ぎくりとして思わず本を落としそうになり、あわあわとお手玉した後で、胸に抱くようにして本を持ち直す。
 棚と棚の陰からそうっと、声のした方を窺(うかが)うと、文芸書の棚の下、小さな平台のところに、私の本が五冊ほど平積みされていた。私の本が出てからすでに四ヶ月以上経過しているので、棚に一冊入っていればいいと思っていたのに、この書店はこんなに置いてくれていたんだ――そんな喜びは、平台の前にいたふたりの女性に蹴っ飛ばされる。
「どうだった?」
「うーん、あんま面白くなかった。なんか共感できなかったし」
 があん、と、昔のコント番組みたいに金だらいが頭の上に落ちてきたような衝撃だった。痛い。
「なあんだ。表紙が良さげだから買おうかと思ったのに」
「やめときな、なんか入り込めない感じがしてさ、私、途中でやめちゃったし。こっちの本の方がおすすめ」
 があん、があん、があん。空想の金だらいが何個も頭に落ちてきて、私はもうぼこぼこだった。覗(のぞ)き見をやめ、ふらつく足取りでその場から離れる。ぼんやりしたまま、私は持っていた本を手に外へ出そうになり、慌ててレジへ戻ってお会計し、書店を出た。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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