ひとりで鴨南蛮と揚げ饅頭
深緑野分Nowaki Fukamidori
でもでも、何より鴨だ! 私はテーブルにあった七味唐辛子を鴨南蛮蕎麦にちょっとふりかけて、れんげで湯気の立つおつゆを飲み、口にふくらむお出汁の味わいにふふうっとにやける。すかさず、箸で蕎麦をすくい、鴨肉一枚と葱を一緒に挟んで口に運ぶ。蕎麦のくんと鼻に抜ける香り、鴨肉のみっしりした味わいと脂身のてりっとした甘み、それらを引き立たせる葱。鴨肉を噛(か)みしめながらそのまま蕎麦を啜(すす)り続ける。熱い、でも、おいひい。
お蕎麦を啜り、今度は三つ葉を食べ、あつあつのおつゆを飲む。鴨肉を肉側から食べて、脂身を最後に味わう。一枚を少しずつ、大事に食べる。鴨肉は軽く炙ってあるようで、脂身のところが香ばしい。
美味しい、美味しい、と夢中でお蕎麦を食べていたら、あっという間に麺がなくなり、最後まで取っておいた鴨肉一枚と葱だけが残った。思ったよりも量が少なかったようだ。まあお蕎麦ってそういうものだよね……一枚の鴨肉と葱を併せて箸で挟み、ゆっくり口に運んで、大事に咀嚼(そしゃく)する。鶏よりも野性的な味がする、噛みごたえのある鴨肉をじっくり愉(たの)しみ、葱との相性のよさを満喫した。
ふと他のお客さんの様子を窺うと、そろそろ食べ終わって雑談をはじめているところらしい。席が離れていてよく聞こえないけれど、時々「美味しかったね」の単語が発せられているのはわかった。うん、そうだよね。あ、少しだけ、新作のプロットが見えてきそうな予感がした。
温かいお蕎麦だけれど、店員さんは蕎麦湯を出してくれたので、いったいどうやって飲めばいいのかちょっと悩んでから、どんぶりのおつゆにそのまま蕎麦湯を入れて、れんげで飲む。間違ったマナーだったらどうしようかと、他の二組の客を見たけれど、全員食べ終わっているからわからない。
私は蕎麦湯を飲みながら、先ほど書店で見かけたお客さんから言われてしまった、「なんか共感できなかったし」のひと言を思い出した。共感してもらえる小説を書くのが正解だとしたら、やっぱり、今の時代――感染症について書くべきなのかもしれない。これだけ日常に入り込んでいるんだもの、きっと大勢が共感してくれるだろうし。でも、さっき他のお客さんたちが言ったような「美味しかったね」も、立派な共感だ。感染症のことは省いて、そういう日常の何気ないものこそを大事にすべきなのかも。
再びマスクをつけお会計をして、「ありがとうございました」の声を聞きながら店を出る。古いビルとビルの間から冷たい空っ風が吹いて、せっかく鴨南蛮蕎麦で温まっていた体がぶるりと震えた。先ほどまでは、晩秋を楽しめる穏やかな天気だったのに、少し日が傾いただけで、日陰だと寒いくらいだ。私はバッグから、軽量のショート丈のトレンチコートを取り出すと、スーツの上から着込んだ。
鴨南蛮蕎麦は美味しかったけれど、私の胃袋には少し量が足りなかったし、何かもう少し……ああ、甘い物が食べたい。
古い町並みをぐるりと見渡し、先に進んでみる。今もレコードで音楽をかけていそうな昔ながらの喫茶店の前を通り、名物フカヒレ≠ニ書かれた、やや高級そうな中華料理店の前を過ぎる。その先は昭和からこの町に建っていそうなオフィスビル群があり、あまり食べ物の店はなさそうに思えた。
- プロフィール
-
深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。