よみもの・連載

『琉球建国記』刊行記念 特別対談 今野敏 × 矢野隆
―「琉球」を書く―

 
構成/宮田文久 撮影/織田桂子

江口
沖縄の感覚というものが身についていった――そう今野さんが体感されるようになられたのは、主にいつごろのことなんでしょうか。
今野
『武士猿』を書いた後ぐらいでしょうか。具体的なきっかけがあったというわけではないんですが、何回も沖縄に足を運ぶようになって、現地の人たちの雰囲気もわかっていきましたし。小説家という存在はみんなそうやって勉強していくし、その学びが蓄積していくんですね。たとえば『武士猿』で描いた、琉球王族の血をひく本部朝基という男は、「御殿(ウドゥン)」という邸宅に住んでいます。その感覚は、実際に本部朝基の子孫の方にお会いして、やっとわかったんですよ。ああ、ウドゥンの人というのはこんなに上品なんだと実感できた。王族というのはこういうものなんだ、つまりは宮家のようなものなんだな、と。そうした感覚や文化というものを、かつての私は捉え切れていませんでした。
矢野
僕は今野さんの著作からも、そうした学びを得ています。琉球空手をやるようになって、実は「五十四歩」という型に、すごく違和感を抱いていたんですね。なぜか琉球の流れを感じない型だったので、これは別に覚えなくてもいいかな……とさえ考えてしまっていた。ところが、琉球空手の礎を築いた松村宗棍を描いた『宗棍』を拝読すると、彼がきちんと中国武術を取り入れてつくっていったことがよくわかる。僕が浅薄だったのですが、それにしても見方がガラッと変わったんです。
今野
そう言っていただいたところで申し訳ないのですが(笑)、あれは一般的に認められた史実ということではなく、私が理詰めで考えていった説なんですよ。
矢野
えっ、そうなんですか!?(笑)
今野
いえね、実際に琉球空手をやってきて、実感として私はずっと考えてきたわけなんです。なんで五十四歩という型にこんなにもさまざまな中国武術が、しかも断片的に寄せ集められているんだろう、と。そうするうちに、「これは宗棍が型を習ったということではなく、習ったテクニックを寄せ集めて新しい型をつくっていったんだ」と、ピンときたんですね。しかも、単に私の想像ということではなく、説としてきちんと納得できるものでしょう?
矢野
はい、納得できます。五十四歩だけは、どう見ても体系からずれていると思っていたのが、すっと腑(ふ)に落ちました。
今野
他の型は、スーパーリンペーというように、数字を中国語読みするじゃないですか。五十四歩だけ、日本語なんですよ。ですから、これは絶対に宗棍がつくった型だろう、と。
矢野
「ゴジュッシホがいいと思います」という宗棍の台詞が作中にありますね。なるほど、説得力にあふれた推論です。
今野
それ以外には考えようがないですし、私はあの説を信じています。
矢野
その観点からいうと、宗棍が剣術の示現流(じげんりゅう)を学んでいるというくだりも、とても面白いです。
今野
これも人によってさまざまなんですが、示現流なんかやっていたはずがないだろうという学者もいるんですよ。ただ、私はやっていただろうなと思うんです。琉球空手をめぐるこれまでの作品と共に『宗棍』を書くことによって、ようやくそういうことが考えられるくらいに沖縄の心に近づくことができた、ということですよ(笑)。
矢野
今野さんがそうやって空手や作品を通じて実践してこられたように、沖縄の人間ではない小説家が書くというとき、どうしても背負わなきゃいけない覚悟といったものがあると思うのですが……。
今野
もちろん、それはあります。と同時に、これはあえて言うのですが、作家は何を書いてもいいと思うのです。文句を言われようが、非難されようが、書きたいものを書くのが作家ですから。そうやって第二作目を書くと、「ああ、一作目のあの部分は、こう書くべきだったな」ということが必ず見えてくる。すると、より本物らしくなってくる。三作目になったら、もっとそうなります。蓄積していくんですよ、文化って。ですから私の希望としては、矢野さんには『琉球建国記』の続きを書いてほしいんです(笑)。
江口
私も読みたいです(笑)。
プロフィール

今野敏(こんの・びん) 1955年北海道生まれ。78年、上智大学在学中に「怪物が街にやってくる」で第4回問題小説新人賞を受賞。レコード会社勤務を経て、執筆活動に専念。2006年『隠蔽捜査』で第27回吉川英治文学新人賞、08年『果断 隠蔽捜査2』で第21回山本周五郎賞、第61回日本推理作家協会賞を受賞。17年「隠蔽捜査」シリーズで第2回吉川英治文庫賞を受賞。空手有段者で、道場「少林流空手今野塾」主宰

矢野隆(やの・たかし) 1976年福岡県生まれ。2008年「蛇衆綺談」で第21回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。09年、同作を『蛇衆』と改題して刊行。21年『戦百景 長篠の戦い』で第4回細谷正充賞を受賞。時代・歴史小説を中心に執筆し、人気ゲームやマンガのノベライズも手がける。著書に『慶長風雲録』『斗棋』『山よ奔れ』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』「戦百景シリーズ」など。

江口洋(えぐち・ひろし) 集英社文庫編集部・部次長