よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 そこへ跡部信秋に連れられ、金刺堯存が現れる。
「お久しゅうござりまする。晴信様。こたびは諏訪攻めの陣にお加えいただき、まことに有り難うござりまする。加えて、遅くなりましたが、武田家の御惣領(ごそうりょう)就任、御目出度うござりまする」
「金刺殿こそ息災で何より。こたびの与力、まことに感謝いたしまする」
 晴信は膝に両手を置き、頭を下げる。
「こちらこそ諏訪に一本、筋を通していただき感謝の極みにござりまする。今後とも、よろしくお願いいたしまする」
 金刺堯存は再び頭を下げてから、幔幕裡を後にした。
 そこからは戦況が著しく動き始める。
 茶臼山本城では、寄手(よせて)と城兵の間で小競り合いが起こった。
 しかし、城方は圧倒的な兵力の差を悟り、午(ひる)過ぎには守矢頼真の説得が功を奏し、花岡忠常が無血での開城に応じた。
 原虎胤と飯富虎昌が茶臼山本城に入り、敵方の降伏を受け入れる。その後、城の包囲に参加した藤沢頼親が武田本陣に駆け付け、報告を兼ねて晴信に謁見した。
 一方、諏訪頼重が籠もった桑原城は、包囲されたまま沈黙を守っていた。
 そこへ原虎胤が捕縛した花岡忠常を本陣に連れ帰り、諏訪頼重の説得を申し出る。
「元々は、この花岡も小笠原との和睦には反対していたそうで、かかる状況を伝え、諏訪頼重殿に降伏を勧めたいと申しておりまする。それがしが桑原城へ同行しようと考えておりまするが」
 原虎胤が進言した。
「それならば、それがしも一緒に行きましょう」
 原昌俊(まさとし)も申し出る。
「おお、加賀守(かがのかみ)殿が一緒ならば、なおさら心強い。口上と誘降は加賀守殿、決裂したならば、それがしが一戦交えてまいりまする」
 そう言ってから、虎胤が豪快に笑う。
「花岡、そなたは頼重殿を説得できそうか?」
 晴信が縄目を受けた花岡忠常に問う。
「……はい。頼重殿に加え、側に侍(はべ)っている矢嶋満清殿を説得する必要がありまする。それがしならば、できるのではないかと」
「さようか」
「……されど、成功した暁には、お願いがござりまする」
「なんであるか?」
「頼重殿を含め、われら諏訪西方衆の命を助けていただけませぬか?」
「命の保障か……」
 晴信は少し思案する。
「……命は助けてやれるが、頼重殿と弟の頼高殿、そなたら西方衆は諏訪に居続けることはできぬぞ。それでもよいか?」
「……はい。命が助かるならば、異存はござりませぬ」
 花岡忠常は俯(うつむ)きながら声を振り絞る。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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