第三章 出師挫折(すいしざせつ)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「上辺だけの詫びなど、いらぬ! 余はそなたの申し訳の中身を聞きたいと申しておるのだ。本城で何が起こり、なにゆえ、さような無様を晒(さら)しておるのか?」
「……本城を囲まれた時、寄手は武田家の軍勢だけでなく、下社や上伊那の軍勢も加わっており、その数は万にも及ぶと思われました。それに対し、われら城兵は敵方の十分の一にも満たぬ小勢でありました。もちろん、戦支度も間に合うておらず、そのまま意地だけで籠城を続ければ、おそらく力攻めにされ、われらは全滅を免れなかったと思いまする」
花岡忠常は大げさな誇張をするでもなく、真摯(しんし)に状況を語り続ける。
「そんな時、上社の守矢殿が訪ねてこられ、上社の者たちもほとんどが武田家に与(くみ)したと聞かされ、観念した次第にござりまする。その代わりに、こうして頼重殿を説得させていただけるということで」
「御方と寅王丸は、どうした?……本城にいたはずであろうが」
「御寮人様は、その時すでに本城をお出になっておられました。だいぶ前に頼重殿の遣いという方がお見えになり、上原城へ移ってほしいという話でありましたが」
「なにっ!」
頼重が隣にいた矢嶋満清の顔を見る。
「……それがしは迎えなど出しておりませぬ」
「たばかられたのか……」
悔しそうに顔をしかめながら、頼重が首を振る。
「於禰々様ならば、すでに御子と一緒に甲斐の新府へ向かわれました。御二方ともご無事ゆえ、心配は無用と存じまする」
原昌俊がこともなげに言った。
「頼重殿、お願いいたしまする!」
床に両手をついた花岡忠常が声を振り絞る。
「この桑原城を囲んでいる軍勢の数は、本城の寄手への比ではありませぬ。武田家の兵に加え、上社、下社の者たち、上伊那の高遠、藤澤の軍勢がおり、力攻めにされたならば、ひとたまりもありませぬ。ここは晴信殿の勧めに従い、潔く降ってくださりませ。どうか、皆のためにもご英断をお願い申し上げまする」
額をこすりつけ、忠常が願った。
間髪を入れず、原昌俊が畳みかける。
「ここからは、それがしの私見を述べさせていただきまする」
その面には非情な笑みが張りついている。
「当方としては諏訪惣領家の血筋に繋がる御方が残り、武田家と誼を通じてくれるのならば、それ以上は何も望みませぬ。逆に申せば、そうなることが見えているならば、その他のものは無くなろうとも何ら厭(いと)いませぬ。ありていに申せば、於禰々様と御子が甲斐へ戻られた今、諏訪には当方が惜しむものはすでに何ひとつありませぬ。つまり、この城を攻めるならば、逆らう者はすべて滅し、骨ひとつ残さぬよう、城ごと焼き尽くして灰にするのみ。わが御主君は妹君の婿である頼重殿に最後の情けをかけておられるが、これまでの背信を顧みれば、家臣の中にはさような慈悲さえも必要なしと思うておる者が大勢おりまする。できれば、そちらが御屋形様の申し出を蹴ってくれぬか、と」
原昌俊は眼を細め、何の抑揚もつけない口調で言い放つ。
実に静かで酷薄な恫喝(どうかつ)だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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