第三章 出師挫折(すいしざせつ)8
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
その眼前に設(しつら)えられた床几に、原昌俊と原虎胤が腰掛け、背筋を伸ばす。少し、後ろに花岡忠常が正座した。
真っ直ぐに相手を見据えた原昌俊が口火を切る。
「それがしは武田晴信が名代、原加賀守昌俊と申しまする。本日は、わが御主君から諏訪頼重殿への御言葉を伝えに参りました。よろしく、お願いいたしまする」
「同じく武田晴信が家臣、原美濃守、虎胤にござる」
二人は小さく頭を下げる。
「余が諏訪刑部大輔(ぎょうぶたゆう)、頼重である」
諏訪頼重は胸を反らし、武田の使者を見据える。
「直入に伺おう。晴信殿の言伝(ことづて)とは、いかなるものであろうか?」
「では、直入に、お伝えいたしまする」
原昌俊は何の感情も込めない声色で言葉を続ける。
「すみやかに降参し、開城なされよ。さすれば、命だけは、お助けいたす。わが御主君はさようにお伝えせよ、と仰せになられました」
その容赦ない言い回しに、誰よりも驚いていたのが、隣にいた原虎胤である。
――おいおい、まことに大丈夫か。御屋形様がさようなことを仰せになられたのを聞いてはおらぬぞ。
鬼美濃は思わず上輩の横顔を見た。
「……それだけか?」
諏訪頼重はたじろぎながら聞き返す。
「それだけにござりまする」
昌俊は平然と答える。
「もしも……もし、われらが降らぬと拒んだ時は?」
「この席を蹴り、われらが戻り次第、総勢で力攻めいたしまする。この和談が決裂した場合は一片の情けもいらぬゆえ、城方が全滅するまで攻め立てよと命じられておりまする。われらは、その仰せを実行するのみ」
原昌俊は鋭い視線で相手の両眼を射抜く。
まるで相手に切先を突きつけるような眼光だった。
――なるほど。加賀守殿は相手を心底から震え上がらせ、戦意を丸ごと削(そ)ぐおつもりか! 鬼美濃は感心しながら腕組みをする。
「わ、われらに選ぶ余地を与えぬということか!?」
頼重は怒ったように呟く。
「最善の選択だけをお伝えにまいりました」
昌俊は一歩も引く気配がなかった。
それを見た頼重が話の矛先を別のところに向ける。
「ところで花岡。なにゆえ、そちら側に座っておる。そなたには茶臼山の本城を預けたはずだが、易々(やすやす)と敵に降(くだ)るとは残念を通り越して心外であるぞ。いったい、どうなっておる?」
「……申し訳……ござりませぬ」
花岡忠常が項垂(うなだ)れる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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