よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)8

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 一同は広間に戻り、再び使者と向き合う。
「お待たせいたした。われらで話し合うた結果をお伝えしたい」
 諏訪頼重はそれとなく原昌俊の表情を窺う。
 しかし、先ほどと同じく特別な感情は浮かんでいないように見える。
「そちらの和議を受け入れ、この城を無血にて明け渡すことにした。その際に、二つばかり同意してもらいたい事柄がある。まず、ひとつめは城の者たちの無事は必ず保障してもらいたい。次に、開城した後、この身は本城へ移り、蟄居としてもらいたい。こちらからの申し入れは以上である」
 それを聞いた原昌俊の面に微(かす)かな冷笑が浮かぶ。
「ご聡明な頼重殿らしくもありませぬ。なにか、御自身の立場を勘違いなされておられるのではありませぬか?」
「えっ!?」
「われらが申し入れましたのは、降参開城を受け入れていただけるか、否か、ということだけにござりまする。当然、拒否なされば決裂、もしも受け入れるという選択をなされた場合は、家臣の方々を含めて、お命はお助けいたしまする。されど、その後の処遇に関しては、まったく別のこと。当然、当方に預けていただくのが筋かと。われらとしてはいまのところ、茶臼山本城での蟄居は考えにありませぬ」
「……な、ならば、この身をどうするつもりか?」
 頼重は蒼白な顔で訊く。
「頼重殿と弟君の頼高殿には、甲斐の新府へお越しいただきまする。家臣の方々は、しばらく牢に入っていただき、順にわれらからの取り調べを受けていただきましょう。わが御主君は小笠原家との内通に関して激しくお怒りになっておられまする。いったい、いかなる経緯でさようなことになったのかを詳(つまび)らかにするための聴聞にござりまする」
「……本気で……申しておるのか」
「かように重要な場で戯言(ざれごと)など申しませぬ」
「甲斐の新府……虜囚ということか……」
 茫然(ぼうぜん)と呟きながら、頼重は側近たちの顔を見る。
 矢嶋満清をはじめとする者たちは押し黙ったまま、眼を逸(そ)らすように俯いている。
「さて、頼重殿。最後に念を押させていただきまする。御決断は、いかに?」
 原昌俊は真っ直ぐに相手の両眼を見つめる。
 刺すような眼差しから逃れるように、頼重は俯いて握り締めた拳を見つめた。
 しばらく、歯を食いしばるように黙っていたが、ついに諦めて口を開く。
「……開城……いたす」
「有り難き仕合わせにござりまする。これで無用な血が流れずに済みました。御英断に、感謝いたしまする」
 原昌俊は両手を腿(もも)に置き、深々と頭を下げる。
 隣の鬼美濃も無言でそれにならった。
「では、一刻(約二時間)後に城の明け渡しを行いますので、それまでに支度をお願いいたしまする。われらはこれから御主君への報告に戻りますが、和議成立の証として、弟君の頼高殿に同行していただきまする」
「……頼高を質にするというのか」
「質などという大げさな意味でありませぬ。われらとしてはたかだか一刻如きで頼重殿のお考えが変わるとは思っておりませぬゆえ、あくまで和議成立の証を立てるため、諏訪大社大祝(おおはうり)として一緒にお越しいただければよろしいかと。神職として和議の起請(きしょう)をしていただきましょう」
 その言葉に、頼重は悔しそうに顔を歪める。
 しかし、諦めたように席を立ち、因果を含めた後、弟の諏訪頼高を連れてきた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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