第三章 出師挫折(すいしざせつ)14
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……やはり、頼重様の申された通りでありました」
今度はしっかりとした口調で、禰々が言う。
「……いつか、兄上に殺(あや)められる日がくるやもしれぬ、と」
妹の言葉に、兄の表情が完全に凍りつく。
「それは……」
晴信は何とか声を絞り出そうとする。
「……それは、いったい、いかなる意味であるか?」
驚愕(きょうがく)しながら問う兄を、禰々は鋭く見つめる。
「頼重様が大事なお話だとして、かように申されておりました。もしも、兄上が頼重様を亡きものにした時は、わたくしには真実を伝えずに、必ずこう言うであろうと。……武田家が後盾となり、寅王丸を新たな惣領にする、と。もしも、われらが引き離され、さような話が出たならば、その時は頼重様が殺められたと思い、決して寅王丸を側から離してはならぬとも申されました」
禰々は憎しみともとれるような色を瞳に宿している。
晴信はそんな妹の顔を茫然(ぼうぜん)と見つめていた。
「……あの時は、なにゆえ頼重様がさような話をなさるのか、よくわかりませんでした。されど、今は頼重様がすべてを見通しておられたことがよくわかりました。……兄上、正直にお答えくださりませ。……もしも、まことに生きているのならば、頼重様はいずこにおられまするか?」
禰々が喰い下がる。
「……新府からほど近い場所の……さる寺だ。そこで蟄居しておる」
晴信は咄嗟(とっさ)に半分だけ嘘をついてしまった。
いや、どうしても本当のことを言えなかったのである。
「甲斐の寺……。頼重様がそこから出られぬのならば、禰々と寅王丸が参りまする。頼重様にお会いできたならば、禰々は兄上のお話を信用いたしまする。さあ、わらわをその寺へお連れくださりませ」
禰々は力を振り絞って起き上がろうとする。
「……禰々」
晴信は膝立ちになり、両手を差し延べようとする。
「無理をしてはいかぬ!」
「お触りになられまするな!」
妹は執念で半身を起こす。
「……介添えは、無用にござりまする」
「禰々……。なにゆえ、そこまで、この兄を疑う?」
「だから、申したではありませぬか。頼重様にお会いできるのならば、兄上のお話を信用いたしまする、と」
「……その軆で動くのは無理だ。頼むから、今は自分の養生だけを考えてくれぬか」
「やはり、会わせることができぬのではありませぬか。兄上の嘘つき!」
禰々は恨みがましい眼差しを向けた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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