第三章 出師挫折(すいしざせつ)14
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「さようか。ならば、後のことは板垣と相談してくれ。他には何かないか?」
微かに眼を細め、晴信が一同を見渡す。
それ以上の質問はなかった。
「では、これにて評定を終わる。大儀であった」
晴信の言葉を最後に、諏訪の者たちは押し黙ったまま大広間を後にした。
困ったような笑顔で、信方が近づいてくる。
「若、ずいぶんと思い切られましたな」
「さほどでもないと思うが」
「何か、ありましたか?」
「ああ……。禰々の具合がな、あまり芳しくない。それゆえ、諏訪の件を早く片づけようと決めたのだ」
「さようでありましたか。諏訪の代官という話には少々驚きました。されど、謹んで拝命いたしまする」
「ああ、頼む。他の者たちも色々と言ってくると思うが、守矢殿と相談して上手く捌いてもらいたい」
「畏(かしこ)まりました。今、諏訪大社の要職に就いている者たちを集め、意見だけは聞いておきましょう」
「そうしてくれ」
「まずは、諏訪満隣か」
そう呟いた信方の脇に、いつのまにか飯富虎昌(とらまさ)が立っていた。
「御屋形様、先ほどの御言葉、まことに感服いたしました。あそこまで言い切られれば、諏訪の者たちも、うかうかしてはおられますまい」
虎昌は嬉しそうに笑う。
「それがしには是非、福与城攻めをお命じくださりませ」
「福与城攻めの先陣は、昌頼が志願していたぞ」
信方が釘を刺す。
「城攻めは経験に勝るものなしと申しまする。昌頼では、ちと貫目が足りぬのでは?」
「されど、申し出たのは、向こうが先だがな」
「あっ……。武田一の頑固者」
虎昌が小さく信方を指差す。
「殴るぞ!」
信方は拳骨を固めて息を吹きかける。
「ご勘弁を」
飯富が後退りし、そそくさとその場を後にした。
これが九月二十一日のことであり、その翌日から急ぎ追撃の支度が為された。
九月二十五日には、信方が辰野へ攻め入り、高遠頼継を撃退する。先陣は約束通り、諏訪満隣と弟の満隆(みつかた)が務めた。
形勢を不利と見た高遠頼継は自城へと撤退した。
さらに二十六日、駒井昌頼の率いる軍勢が藤澤頼親の福与城に攻めかかる。飯富虎昌は城攻めの後詰を担い、二十八日に藤澤頼親と矢嶋満清を降伏させた。
九月二十九日に信方が上伊那高遠に侵攻し、頼継に味方する高遠一揆(いっき)を撃破する。明けて十月七日には飯富虎昌が諏訪西方衆の残党を捕縛した。
戦(いくさ)のほとんどは、晴信が望んだように短期で武田家の勝利に終わっていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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