よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)14

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「若、こたびは皆、上伊那衆の所業を絶対に許すまじという覚悟で出陣しておりますゆえ、追撃は早い方がよろしいかと」
 信方が進言する。
「そのつもりだ。されど、板垣。まずは守矢(もりや)頼真(よりざね)に諏訪家の縁者と大社の神人(じにん)衆を集めさせてくれぬか」
「それはすぐに手配りできまするが……」
「諏訪の本城で寅王丸の惣領就任を披露目し、ついでに諏訪の者たちに言っておきたいことがある。追撃はそれが終わり次第だ」
「承知いたしました。では、昌頼、そなたが走れ」
 信方は駒井(こまい)昌頼に手配を命じる。
「はっ。すぐに」
 若い家臣は弾かれたように動き始めた。
 この評定が終わった翌日の午後、上原城に諏訪家の縁者と大社の神人衆が集められる。武田の家臣たちも加わり、大広間には人がひしめいた。
 それらの者たちを大上座から見渡し、晴信が口火を切る。
「本日、皆に集まってもろうたのは他でもない、先頃より続いた騒擾(そうじょう)の始末について報告するためである。先日、諏訪頼重は佐久(さく)での勝手な和睦、小笠原(おがさわら)の軍勢を諏訪に引き入れた咎(とが)を認め、弟の頼高(よりたか)ともども潔く自害した。遺骸は武田家が手厚く葬った」
 その話を聞き、広間が小さくどよめく。
 それに構わず、晴信は言葉を続ける。
「ついては、嫡男である寅王丸を諏訪宗家の新たな惣領としたい。ただし、かの者はまだ幼いゆえ、少なくとも元服を済ますまでは武田家、及び、余が後見することになった。それに伴い、寅王丸は千代宮丸(ちよみやまる)と改名し、諏訪の者たちには新たに契(ちぎ)りを結んでもらう。よって、家中の序列や諏訪大社の大祝(おおはうり)、禰=iねぎ)などの任命はいったん白紙に戻し、追って通達することにした」
 今度は小さく息を呑む音が広がった。
「ともあれ、上伊那衆の謀叛もまだ収まっておらぬゆえ、われら武田の軍勢が仕置を行うが、千代宮丸の元服まではここにいる板垣信方が諏訪の代官を務める。諏訪及び大社に関することは板垣より直(じか)に通達するゆえ、沙汰を待ってもらいたい。もちろん、これらの事柄に対する反論や異論は一切受け付けぬので、文句がある者はここから立ち去り、諏訪を出ていくがよい」
 晴信はまったく感情を表にしない冷徹な口調で言い切った。
 信方は初めて聞く話だったが、微かに眉を動かしただけで平然としていた。
「惣領就任の御披露目は、上伊那衆の仕置が済んでからになる。まずは目先の謀叛を収めるために、諏訪の衆にも出陣を募りたい。もちろん、そこでの武功は新たな任命に加味されることは申すまでもない。その気がある者は板垣に申し出るがよい。余からは、以上だ。何か、質問があれば聞こう」
 晴信は大広間を見渡す。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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